海運の伝承 - 鹿児島の船乗り・船主・運搬船 |鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME|
『民俗宗教と生活伝承―南九州フォークロア論集』253-294頁 所収論文
●編者:下野敏見
●発行:岩田書院
●発行日:1999.5
●規格:A5版・444ページ・上製本・箱入り
日本民俗学会会員 井上賢一
海を生業の場とする人々には,漁民と船乗りという二種類がある。民俗学においても,前者を中心に多くの海をめぐる研究が進められてきた。しかしながら,海運を担う船乗りについては,社会経済史学あるいは船舶技術史からのアプローチはあるものの,民俗サイドからは北見俊夫の一覧の業績が見られるに過ぎない。
以下では,鹿児島における小規模海運の伝承を見ていくことにする。本稿ではこの小規模海運のことを「地域的海運」と呼ぶことにしたい。
(1) 知覧海運の運搬船 (2) 加世田海運の運搬船 (3)佐多における運搬船
(1) 帆船の時代 (2) 機帆船の時代 (3) 動力船の時代
(1) 知覧海運の航海 (2) 加世田海運の航海 (3) 佐多における海運
(1) 船乗り (2) 自然と航海 (3) 信仰・儀礼 (4) 俗信・禁忌
(1) 知覧海運の盛衰 (2) 加世田海運の盛衰 (3) 佐多における海運の盛衰
・・・これらの海運活動は,その立地と史的背景からなる風土性の上に変容を遂げてきたものである。
まず立地からその営みを見ると,後背農村を控える知覧・加世田両海運では,骨粉製造あるいは醤油醸造など原料輸送―加工―陸上交易という加工交易に特徴があると言える。・・・一方陸の孤島といわれ,海がより重要な交通路であった佐多においては,背後にそびえる山林資源と全面の水産資源の搬出が中心となっていた。
次に史的背景から盛衰を検討すると,秀吉の朝鮮出兵に起因する加世田海運においては,旧士族階級など比較的資本を有する船主によって営まれていたことが指摘できる。知覧海運にはこうした背景はないが,先述した18世紀半ばの仲覚兵衛による牛骨搬入・加工以後,その展開をみることになる。佐多における海運は地域内部に,そのような顕著な転換を促す史的要因はなかったため,より小規模な海運業者によって展開されることになった。そして陸上交通整備の遅れもあり,その衰退は2地域より遅くなった。逆に,加世田においては皮肉にも同じ鮫島家により,いち早く鉄路が届き海運は大正時代に姿を消した。