10月 太鼓踊り・豊祭 - 鹿児島の秋祭り(豊祭-ホゼ-)に伝わる民俗芸能|加世田風物詩 < 南さつま半島文化|
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「ホゼ踊いのホゼは,どげな意味な?」 先日おばさんから質問を受けました。鹿児島では方祭または豊祭などと書かれますが,どうもホゼは放生会という意味から来ているようです。
津貫(大字つぬき)のホゼは10月27日。一番太鼓を目指して練習に励んだ成果が,毎年この日に披露されます。唄い上げのミッキはその晴れ舞台。新人には女性から華やかなハンカチが贈られ,多い人は百枚もの布が背中の矢幡から舞い上がります。今は三つの太鼓踊りが奉納されますが,中間(津貫なかま地区)のものは復活50年を迎えます。
大正時代,中村(津貫中間なかむら集落)から今の場所に神社を移すときの話。「村に青年が3人おっといずいは,毎年踊ってあげもんで(村に青年が3人いるうちは毎年踊ってあげますので)」と神様に頼んで,ようやく移ることを承諾してもらった,と伝えられています。その後,戦争で一時中段。昭和21年,「カライモを食って腹もふくれたで,今年どま踊いを踊ってみろかい」という話になり,以来50年がたちます。
さて,先日韓国で農楽というおもしろい民俗芸能を見ました。女性を象徴する花笠,太鼓と鐘の鳴物,そして踊りの隊形までがそっくり。鹿児島の太鼓踊りは島津義弘の朝鮮出兵に由来するという伝説が各地で聞かれます。それと直接結びつけることは出来ませんが,日本にもともとあった踊りに,韓国芸能が影響を与えて今のすがたになったのだろうとその時感じました。
中間では伝承者が少なくなり,踊りのかたちが崩れていくのが心配だといわれます。50周年を期に保存会で踊りを忠実に記録し,後世に伝えていきたいということでした。
*1995年10月に津貫中間豊祭太鼓踊り保存会から『復活50周年中間豊祭太鼓踊記念誌』が刊行されています。踊りに携わってきた方々の芳名や思い出をはじめ,楽譜や実測を含めた「踊りの形態と芸能具」の節もあり,学術的評価も高いものです。
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