3月 花見・河童 - 加世田市の河童(ガラッパ)伝説 | 加世田風物詩 < 南さつま半島文化|
「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山ぎわ、少し明りて紫立ちたる、雲の白くたなびきたる」清少納言の時代から明治まで月の満ちかけによる暦を用いた頃は、正月が立春に近く1月から3月までが春と呼ばれていました。今のカレンダーでは2月4日が立春。そこから5月の立夏まで、これが春にあたります。
その春の楽しみにお花見があります。今は職場やグループが中心ですが、少し前までお重にごちそうを詰め、集落あげてのオデバイ(お出張い)が盛んに行われていました。
村原(加世田校区むらはら地区)では今も崎園公園(さきぞの公園)で行っていますが、以前は日枝神社(ひえじんじゃ)や万之頼川(まのせがわ)の川原まで出向いたそうです。久木野(くきの校区)でも集落ごとにオカノボイ(丘登り)がありました。小湊中央(こみなと校区ちゅうおう地区)では浜に出て、鎌ん手踊り(かまんておどり)や棒踊りを踊りながらデビラッ(出開き)を楽しみました。吹上浜(ふきあげはま)には、以前は川辺の勝目(かわなべ町かつめ校区)などからも、集落あげて潮干狩りに来ていました。また戦前には、高倉(川畑校区たかくら地区)の草競馬もお花見がてら賑わったと言われます。
ところで春の彼岸には、ヒョーヒョーと声を出しながらガラッパ(河童)が山から川に降りてくるという言い伝えがあります。田の神だとも、水神だとも、いやいや鳥の鳴き声だとも言われます。一方で、ガラッパドンと相撲をとったという話も久木野で聞きました。
3月は田んぼの準備もはじまります。田の神様も里に降り、農作業を見守ってくれるのでしょうか。海や山、親しい人々との交流。精霊たちとの遭遇。春はそうしたふれあいを通して、新しい年度を共感する季節でもあったのです。
秋の彼岸、鳴き声とともに再びガラッパは山に戻っていきます。