*南さつま歴史街道 - 地図

南さつま市地図と地名

長屋山(ちょうやさん)

長屋山
南さつま市街から見た長屋山


 南さつま市加世田・大浦境にある標高513メートルの山。

 「ちょうやさん」と読む。なお,麓にある長屋小学校は「ながやしょうがっこう」。三国名勝図会27巻では,「土人の記録に,長屋山の文字,或は長屋山,永山,長江山,永屋山等と書るあり」。また,同巻「大浦潟」の絵図では大浦から望む長屋山を「長尾山」と記している。

 この山は,日本書紀に登場する「吾田の長屋の笠狭碕(あたのながやのかささのみさき)」の長屋ともいわれる。記紀神話の天孫降臨の部分で,高千穂に降り立ったニニギノミコトがたどり着いた場所だとされる。山頂には昭和15年(紀元2600年)に建てられた「神代聖跡長屋」の碑がある。

 山頂まで自動車で上がることができ,展望台からは桜島・開聞岳・野間岳・吹上浜と薩摩半島が360度見渡せる。山頂には,国土交通省の航空路監視レーダーがあり,市内どこからでも白いレーダーが見えるため南さつま市のメルクマークとなっている。加世田では「長屋山に雲がかかると雨」とか「長屋山が見えるようになったから雨が上がる…」など,天気の言い伝えにも使われることがよくある。→地図


日本書紀巻第二 神代下
時に、高皇産霊尊、真床迫衾を以て、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊に覆ひて、降りまさしむ。皇孫、乃ち天磐座を離ち、且天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、日向の襲の高千穂峯に天降ります。既にして皇孫の遊行す状は、■(木に患)日の二上の天浮橋より、浮渚在平処に立たして、膂穴の空国を、頓丘から国覓ぎ行去りて、吾田の長屋の笠狭碕に到ります。
(岩波書店日本古典文学大系『日本書紀・上』から引用し常用漢字化,注釈部省略)

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このページの地図は国土地理院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用して作成しました。


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