川辺町の屋根付納骨堂 - 薩摩半島のトタン屋根付き合祀墓についての調査報告 |鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME

川辺町の屋根付き納骨堂(合祀墓)

調査報告「川辺のノウコツドウ」要旨

鹿児島民具●『鹿児島民具第13号』44-61頁所収 調査報告(原題「川辺のノウコツドウ」)

●発行:鹿児島民具学会

●発行日:1998年


1 はじめに

 桜島を歩くと,墓石の上にトタンの覆いをかけた墓を見かける。火山灰から灰を守るためだといわれる。ところが,1年に数度わずかな降灰があるだけの薩摩半島南部にも,こうした墓が見られるのである。鹿児島では先祖の霊が眠る墓を大切にし,毎日のようにそこを訪れる。美しい切花も絶えることがない。あるいは競うように,墓石や納骨堂が作られ,また,日々の花が墓地を飾る。こうした風土が,屋根付きの墓を広めていったのであろうか。・・・ここでは,墓石の移り変わりから川辺(鹿児島県薩摩半島かわなべ町)の人々のこころの変容へアプローチを試みてみたい。・・・現在最もポピュラーな姿は,地元で「ノウコツドウ」と呼ばれる合祀墓であった。

  埋葬墓 納骨墓 納骨堂 共同納骨堂
単独墓 合祀墓
葬法 土葬 火葬
祭祀対象 個人 家族など
墓形式 角柱石塔 納骨堂
建墓主体 イエ ムラ
備考   最も一般的な形式で,真宗の単独墓では,「釈○○○○」と法名部に刻まれており,合祀墓では「○○家之墓」となっている。
かろうと(納骨部)が地上にあるものと,地下のものとがある。
洋式(横長墓石)もある。
有蓋(トタンの屋根)をもつものもある。
数宇が一緒になったものもある。 イエの納骨堂をつなげたアパート式のものと,広い堂に納骨ロッカーを置いたものがある。

2 景観の中の墓地

(1) 神殿・軸屋の墓地  かわなべちょう・かみどの・じくや
(2) 神殿 中福良の墓地(ウエンハカ・シタンハカ)  かみどの・なかふくら
(3) 清水 桜元の墓地(桜元霊園)  きよみず・さくらもと
(4) 野崎 桑水流の墓地(桑水流共同納骨堂・旧墓地)  のざき・くわずる
(5) 小野の墓地(小野共同納骨堂・北墓地・南墓地)  おの
(6) 田部田 島の墓地  たべた・しま
(7) 高田上の墓地  たかだ・たかだかみ

3 川辺町のノウコツドウ

(1) 埋葬墓    資料1〜資料14
(2) 単独納骨墓 資料15〜資料16
(3) 合祀納骨墓 資料17〜資料28
(4) 納骨堂    資料29〜資料32

4 まとめ

(1) 墓地の位置と墓石の配置

 墓地は,基本的に集落後背山の麓付近に,集落側を向いて立地している。それらは村落景観構成上,耕地から山への入り口にあたり,いわばムラとヤマとの境界に位置しているといえる。ただ,田部田 島の墓地は,水田の中に孤立しており,墓石の方向も村落を向かないという独特な配置となっている。
 新しい村落共同納骨堂の形式をとる桜元霊園では,背後に川をもち,前面は見通しの利く水田となっている。河川も異界への交流点といえる。また,ロッカー式の共同納骨堂では,見とおしの利く水田のなか(耕地の最奥付近)や,山の斜面を利用して作られている。それまでの墓地の観念を引き継いだ立地といって良いが,より利便性を考慮した場所が選ばれている。

(2) ノウコツドウの移り変わり


図●墓石の変遷(仮説)


〔タイプA 角柱石塔〕
@埋葬墓 Aa単独納骨墓(地下かろうと式) B合祀納骨墓(地下かろうと式) C屋根付きの登場
Ab単独納骨墓(地上かろうと式) D合祀納骨墓(地上かろうと式) E屋根付きへ → 数基を覆うものへ発展

〔タイプB 納骨堂〕
F共同納骨堂(ロッカー式) G共同納骨堂(アパート型) Hプレ納骨堂 I納骨堂 → 数宇をつなげたものへ発展か?

5 結びにかえて

・・・墓形式の変化は,石工(あるいは石材店)の推薦によるところも多い。しかし,それを選ぶ遺族,あるいは寿陵を建てる本人の意志のほうがより強くはたらいているのである。そして,高度経済成長期以降におけるイエ体制の維持を考える場合,ノウコツドウ化は避けて通れない地方の課題であったとも言える。このことは,都市部における墓地面積の飽和状態とは別の角度で,地方の墓変容を考えなければならないことを示唆している。
・・・これは墓制に限ったことではなく,民俗変容のしくみを考える際,どうしても整理しなければならない課題である。ただ単に「高度経済成長期からの変化」というだけでは,変容解明の答えにはなっていないのである…。

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