種子島の年中行事 - シュエー取り(潮水取り),潮祭り,磯遊び,掛け魚など海村の行事。 | 鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME |

種子島海村の年中行事

はじめに

種子島地図○調査地:鹿児島県種子島
西之表市大字伊関沖ケ浜田集落(にしのおもて・いせきおきがはまだ)
同市大字西之表大広野集落(にしのおもておおひろの)
同市大字西之表塰泊集落(にしのおもて・あまどまり)
同市大字住吉浜ノ町集落(すみよし・はまのちょう)
同市大字住吉志和野集落(すみよし・しわの)
中種子町大字納官浜津脇集落(かんのう・はまつわき)

○調査日:1994年12月及び1996年8月

○初出:拙著「海村の行事」(下野敏見編『種子島民俗調査報告書(1)西之表市の民俗・民具第1集』所収,1997,西之表市教育委員会)


 1994年の暮れと96年夏の二度,種子島の海村を調査した。ここでは年中行事を中心に,東海岸の伊関沖ヶ浜田,西海岸の西之表大広野,西之表塰泊,住吉志和野,住吉浜之町,そして中種子町浜津脇の事例を報告する。
 これらは,シュエー取り,潮祭り,磯遊び,掛け魚などさまざまな形で海とともに暮らす,半農半漁のむらむらであった。

1 伊関沖ヶ浜田

(1) 正月行事

シュエー(潮井) 門松は31日に立てる。1メートル50センチくらいの松と,竹,それに30センチ程のマテを立て,下のほうは外から割り木を巻いて3か所を縛る。
 年が明けると浜にシュエーを取りに行く。ダイダイ,ユズリハ,ウラジロなどを持って一人で浜に行き,どんぶりでシュエー(潮と砂)をもらってくる。持っていったものは浜に立ててくる。各家庭がするので浜にはたくさん立っていた。
 クサイモン(福祭文)は中年の衆がしていた。
 14日ごろ,コノミナの木に餅を切ったものを差して飾った。この日に子供の衆が「オッキャリンスカ,オッキャリンスカ…」というコノミナジョウの文句を唱えて家々を回り,その餅をもらった。
 正月飾りは20日に全部取り,焼いたりした。門松は八十八夜まで取っておいて,たんぼの水口に立てたりした。その意味は分からない。注連繩も20日までつけていた。

(2) 春・夏の行事

 5月の節句には,茅葺き屋根の軒に3か所,フツやショウブを差していた。この日,餅米をダチクの葉に入れてマキ(粽)を作った。こいのぼりを揚げる。
 6月には磯遊びと言って,部落中が浜に出て親睦会をした。ガンキョウ(水中眼鏡)をかけて,二つ又のオーツキ(鉾)で魚をついたり,クシでトコブシを取ったりして遊んだ。日にちは決まっていない。

(3) 七夕・盆行事

 7月7日に子供が唐竹で七夕飾りを作る。終わっても腐るまでそのまま立てていた。
 部落に無縁仏の墓があり,お盆にはそこから無縁仏さんが来るというので,木で作った四角な箱を庭に立て,杯,花,線香を供えた。
 15日の夕方には軍場の木蓮寺から宮路師匠さんに来てもらい,部落総出でマキをもって墓の広場に集まり,お題目を唱える。

(4) 秋の行事

 八月十五夜には子供と青年が前日に練った綱を,子供の衆が浜で引き合う。綱引きが済んでもそのまま浜に放っておく。

(5) 神社の祭り

 沖ヶ浜田神社の祭りは旧3月14日と旧9月24日。3月は一年の豊作のグァンタテ(願立て)で,9月は米の豊作を感謝するオゴンジョウス(お願成就)。この日は安納の神社の神官に来てもらう。10年ぐらい前までは6人1組の3組でおどる棒踊りがあったが,青年が少なくなって途絶えてしまった。

2 西之表大広野

(1) 正月行事

 カドギ(門松)は31日に立てたが,早い日に作る人もいた。竹,松,マテを使い,家によってはクニギを用いる。
 正月の7日には七草の雑炊を作って仏壇に上げ,それを7歳の子供がもらって歩く。着物は普通のもの。歌を歌うクサイモンというのはない。
 自分の小さいころ15日にコノミヤと言うのを作って家に飾った。コノミヤの木に,四角や長く切ったもちを十も十五も花が咲いたように差したもの。豊作祈願の意味だという。漁師の家もしていた。そして30年位前までは,子供たちがそれをもらいに回っていた。
 注連繩は3日に取る。そして,15日頃門松も片付ける。また,20日の正月に,精霊にいろいろなものを供えた。

(2) 春・夏の行事

 磯遊びと言って大広野部落が集まり,浜に出て魚を取ったりして遊んだ。農繁期の休みの意味。

(3) 七夕・盆行事

 自分が若いころまでは,お盆のとき水仏を祀っていた。竹を4本立てて芭蕉の小さいのや外に何かを供え,それに水を掛けていた。

(4) 神社の祭り

塩竃(中種子町竹之川) 旧正月7日が大広野神社の大祭で,各戸から1名が出て,国上から神官を呼んでお祭りをする。踊りなどはない。
 大広野は大崎と一緒の小組合になっていて,塩釜神社(大崎神社)の祭りにも加わる。節分に潮祭りと言って,普段人の上がらないような岩の上で拝んで,ホイドン(神官)から札をもらって海に流す。五穀豊饒,豊漁,家内安全の御願立てであった。また,11月3日ごろ塩釜神社の祭りがあり,御願解きの意味であった。

3 西之表塰泊

(1) 正月行事

 門松は30日か31日に立てる。マテと松,小さな割り木を使って各戸で門口の両側に立てる。門松の根元には浜の砂を盛る。砂を取りに行く時間は特に決まっていない。門松は14日くらいまで飾って,すべて捨てる。
 2日は船主会と小組合の合同主催による船祝いを公民館でする。丑三つ時にベンザシが小さな桶(高さ11.5センチ,直径6センチ)へ潮を汲んで来て,海草(ホンダワラ)でそれを公民館のエビスにかけて清める。朝から準備する。料理は今でもほとんど,船を持っている家の人で盛りを手作りする。船主は現在38戸。
 7日はクサイモンと言って,小中学生が歌いながら餅をもらって回り,自分たちで分ける。オセ(先輩)の衆も煮て食べる。現在塰泊は150戸程度であるが,今もこれを3つの組に別けて全て回っている。夕方6時ごろ公民館を出発する。
 15日にもコノミヤジョウと言って,歌を歌いながら小さな餅をもらう行事があったが,今はやらない。
 旧暦の正月1日に組合の定期総会をする。役員の改選,予決算を決議する。組合員は現在49名。小組合長1人と総代5人を決める。

(2) 七夕・盆行事

 盆には公民館の前に水棚というのを作る。トウニンという役の人が毎年作っていたが,今は小組合で作ってある(地面からの高さ140センチ,幅75センチ,奥行き57センチ,縁側に掛ける−写真)。バショウの茎を刻んだ水の子などを供える。昔は各家でも立てた。盆の料理は魚は食べずに豆腐を一人一丁作って食べた。
 8月25日(今は24日)に施餓鬼と言って,魚の供養をする。無縁仏の供養だともいう。師匠さんを頼んで公民館でお経を上げてもらう。

(4) 秋の行事

 八月十五夜綱引きは,昔は木綿のロープを使っていたが,今は既製のロープでやっている。
 12月にチョウギトウ(町祈祷)といって,ベンザシの交代式がある。ベンザシは漁具(綱)の管理や公民館のエビスの管理をする役職である。ベンザシは組合員で順番に交替して行く。

4 住吉浜之町

(1) 正月行事

 門松はモンバシラと呼び,真ん中にクヌギとマテの木,その外に松を立て,下のほうはスウの木の割り木で巻いた。巻くのは3か所。竹は使わない。浜砂の中に立てる。この二本の門松の間に注連繩をする。途中,外から七・五・三の数のワラを垂らしてある。真ん中にユズリハとモロバ(ウラジロ)それにダンダー(橙)をつけ,落ちないようにスウの木を差し込んである。庭に砂を撒くことはしなかった。〔図〕
 元旦は昔は必ず国旗を掲揚して,学校では「君が代」「年の初め」などを歌い,教育勅語を呼んだ。この日は各戸から必ず一名大人も出た。
 2日に臼起こしをした。臼に米と餅を入れて唱えごとをした。4日は鍬入れ祭りをした。ユズリハ,ダンダーの木,モロバを鍬に巻き付けてお祭りした。
 9日は住吉小学校の創立記念日で,野菜の品評会などもあった。
 11日に系図祝いをした。本家(里之町)に系図があると思うが,今はやらない。
 15日ごろコノミヤジョウと言って,コヤスギに餅を四角に切ってつけ,家の角などに飾る。この日,子供達(男の子も女の子もいた)がテクテク棒というのをつきながら門々を回り,コノミヤジョウを唱えて歩く。このことを作祝いとも言う。家の人はお礼にコノミヤジョウの餅を取って与える。子供達はこの餅を公民館に持ち帰って,ぜんざいにしていただいた。テクテク棒はダラの木の皮をむいたものにダラの木の皮を撒き,焼いて左巻きの模様をつけたもので,これをついて回るのは災厄を払う意味だと聞いている。
 また,15日にはショウヨウと言ってごちそうをして浦の人と岡のひとが遊んだ。形之山と深川が17日,能野は19日。それぞれで親戚や嫁に行っている人など縁故関係者が戻って来た。
 20日は,二十日正月と言って餅をつき,門松などを片付ける。

(2) 春・夏の行事

 3月の節句にはフツの木を供える。5月の節句にはショウブを供える。

(3) 七夕・盆行事

 小さいころは七夕の日にカイタケ(唐竹)を切って来て,「裁縫が上手になるよう」「手先が器用になるよう」などと色紙で作った人形に書いて飾ったりした〔図〕。7日に作って,その日に立てる。おわると次の日に海や川に流す。災難を流すという意味。お供え物などはない。
 7月1日はチイタチと言って,墓参りをして墓を掃除した。
 盆は14日と15日。14日の朝から精進料理で,麦をついて粉にし,砂糖を交ぜた型菓子などのお茶菓子も供えたりした。ソウハギとシキブ(シキビ)の葉を供える。また,ソトメの精霊さんと言って,じいちゃんやばあちゃんではない仏様に縁側でお供えをした。花を活ける浅鉢にバナナの葉っぱを敷いて,脇のほうに米(昔は粟も),それにバナナの茎を小さく切ったミズノコを供える。焼酎の徳利に水を入れて,それを掛ける。
 15日の夕方に精霊様が帰るというので墓参りをして,ユリの根,団子,ナガマキを供える。ユリの根は一粒だけで,それが川を渡る船になるという。また米の粉の団子はツボに,ナガマキは杖になる。このナガマキは米の粉で作った団子をカシワの葉で巻いてある。送り火は焚かない。また,迎え火もない。
 盆がま行事なし。

(4) 秋の行事

 十五夜綱引きはしない。
 ハチ(重箱)に餅米でマキをして仏壇に供える。縁側でもマキ,ススキ,ハギを供える。

5 住吉志和野

※古田の移住部落(浄土真宗)から,七年前に妻の里であるこちらへ移って来た。

(1) 正月行事

 門松は29日か30日に門口に立てる。イチニチというのを嫌うので,31日は避ける。松,クヌギ,マテを使い,注連繩を張る。
 元旦は住吉神社に参り,その後校区の新年会がある。
 7日は七草で,7歳の子供が親類の家を回って祝ってもらう。鬼火焚き行事なし。
 11日に系図祝いをしていた。一家の新年会のようなもの。
 15日はコヤスギに切り餅を差して家の角に飾る。これをコノミヤジョウと呼ぶ。コヤスギは蛇の目傘のロクロウ(芯)に使うもので,山に生えているのを使う。同じ日に農業の作の祝いがある。志和野部落で何かの石を祀ってあるところがあり,そこへ住吉の師匠を頼んで参る。その後部落の集まりがある。墓地の経費(水道代や電気代)などの報告をする。
 古田では1月に親鸞聖人の法要をしていた。

(2) 春・夏の行事

マキ(粽) 厄払いは,法華宗の人は師匠のところでお払いをしてもらうが,自分のところは浄土真宗なので特にやらない。
 4月8日はべつに何もしない。
 5月の節句にはマキを作って親類の家に配ったりする。マキは餅をダチクの葉っぱで三角に巻いたもの。
 磯遊びと言って志和野部落の人で夏に遊ぶ日がある。牧場などに行っていた。毎年していたわけではない。

(3) 七夕・盆行事

 子供のいるうちでは七夕の日に,竹の笹に色紙をつけて飾った。男の子も女の子も同じような飾りだったと思う。
 浄土真宗の家では,8月14日の晩に迎え火として縁側で提灯に灯をともす。供え物は里芋など新しくできたもの。水の子は知らない。シキビは盆のときだけあげる。送り火はしない。水棚なし。盆踊りは特にない。

(4) 秋の行事

 旧八月十五夜は家でススキ,ハギなどを供える。また仏壇と墓にもお供えをする。古田では青年がこの日の夕方に綱をなう。芯はなく,ワラやカヤを使った。カヤは野原のは短いので橋のたもとに生えている長いのを使った。公民館の庭でお経を上げ,部落中で綱引きになる。その後相撲を取る。土俵の中はワラのくずで柔らかくなっている。昔は十二時を回ったりしていた。綱はその後おいておけば自然に腐った。
 秋に住吉里之町四部落毎年交替しながら,敬老会,運動会を行う。校区の運動会は浜之町と一緒にやる。

(5) 神社の祭り,その他

 住吉神社は農業の神様で,10月23日に祭りがある。源太郎踊りを四部落で奉納する。牧の神は里の町にはあるが,ここにはない。馬ノ神だという。20人くらいで祭っている。
 種子島は移住部落が多く,古田の自分のいた集落もそうだった。住吉では形ノ山に六,七軒ある。国上の野床,伊関の柳原,安城の平山,古田の上之町は甑島からの移住。古田の番之峯は静岡から,古田の平松は桜島から,鹿之峯は与論からいずれも明治ごろ移って来た。2,3年前に百年祭をした。

6 中種子町納官浜津脇

(1) 正月行事

 門松は門木と言って30日か31日に門口(左右とも)に立てる。松,椎,クヌギ,竹を使って立てる。椎の代わりにマテを使う人もいる。一番外側は5枚とか7枚とか奇数の割り木で囲む。根元には浜砂を盛る。砂も門松を立てるときに浜から取ってくる。昔は門松に注連繩を掛けたが,今は玄関に注連繩をする。注連繩は真ん中にダイダイを付け,その両側に対象に5とか7とか奇数を垂らした。数は奇数であればよく,特に決まっていない。不幸のあった家では,旧暦の正月に門松を立てる。旧正月ならば良いという。
 床飾りは3段重ねの餅に,モロ葉かユズリハを敷いて,そのうえにダイダイをおき,床か神棚に飾った。自分の家では門松もこのお飾りも30日にする。餅は1週間ぐらいで降ろして,水に浸けてふやかしてから焼いたりして食べた。
 元朝5時頃,潮を取りに行く。昔はそのとき人とあってはいけないと言っていた。
 浜津脇ではやらないが,隣の坂元集落ではクサイモンというのを7日にする。7歳になった子供がいる家へ青年団が夜に歌を歌いながら訪れる。今は公民館から神社を回って,頼まれた家だけを回っているようだ。昔は7歳の子供のところを全部回っていたという。
 15日には柳の木を取って来て,門木にくくり,紅白の餅を搗いてそれに飾った。行事の名前は覚えていない。餅は子供がとっていってもよかった。これが終わると門松も柳のこの飾りも全部一緒に片付けた。
 ナレナレ行事なし。

(2) 春・夏の行事

 5月節句には,ツノマキという粽を食べる。今は普通のアクマキの時も多い。こいのぼりは,昔は紙で作ってあるものを買って来ていた。
 8月12日に星原校区主催で港祭りがある。

(3) 七夕・盆行事

 旧の7月7日の朝にクロイオ(クロダイ)を海岸へ取りに行った。海岸の岩のくぼみにできた水たまりから水をくみ出し,中にいるクロイオを網ですくって家へ持って帰り,玄関の軒下に吊るした。女の子も男の子もしていたが,女の子のほうが多かった。吊り下げる数は特に決まっていなかった。農家でも,漁師の家でもやっていた。
 盆は13日に墓に迎えに行く。線香,ロウソク,米などを墓に供える。家では松の木を入り口に立てて,迎え火を焚いた。松のない人は竹を焚く。パンパンと音がする。水路などで迎え火をすることはなかった。
 15日はマキを墓にお供えして精霊様を送る。マキは,米の粉で作った団子を孟宗竹で巻いた細長いもので,精霊様の杖になると言われている。また,ユリの根を仏壇か神棚に供えるが,これは精霊様の船になるという。

(4) 秋の行事

 綱引きはしない。家では,お盆の上に,団子と一升瓶に入れたススキ・ハギを飾る。箕のうえに飾るのは知らない。八月十五夜の団子盗みは無し。

(5) 神社の祭り,その他

 4月3日に熊野神社の祭りがあり,15年に一度東海岸の熊野まで御神幸がある。ホイドンのお祓いを受けて,青年が神輿をかつぎ,熊野まで行く。途中自動車を使うようになったが,熊野の郷まで来るとまた歩く。4月4日には漁師たちの恵比須祭りがある。6月10日は六月灯がある。
丸木舟(種子島博物館) 漁があったとき(豊漁だったとき),魚を一対,恵比須にお供えする。
 丸木舟はルース台風のころまではあった。甲イカのホコツキに使ったりしていた。そのころの水中眼鏡は一つ眼鏡で,鼻は出して,眼鏡の両側か片方に水圧を調節する袋がついていた。耳は栓をしたり,そのままで潜ったりした。潜るのをスムという。眼鏡は一人ずつ大きさが違うので,西之表まで行って,あつらえてもらった。ホコやモリなどは西之表の牧瀬という鍛治屋に作ってもらった。浜津脇の鍛治屋は鎌,鍬と言った農具専門で,ホコやモリはできなかった。
 昔,イサバという船が浜津脇にもあって,鹿児島や口永良部に行っていた。船主も浜津脇にいた。父が語っていた話で,自分はどんな船が詳しくは知らない。

まとめ

○正月行事

 門松は門木と呼ばれ,松,竹,マテ,クヌギ,割り木で作られた。浜津脇では,不幸のあった家は旧正月ならば門松を飾ってよいという。元朝や2日の早朝,浜にシュエー(潮と砂)を取りに行く習俗が各地にある。仕事始め習俗では,塰泊の船祝い,浜之町の臼起こし・鍬入れ祭りが聞けた。
 7日には,青年が各家を祝うクサイモン行事のある集落と,子供が餅をもらって歩くだけの集落がある。塰泊のクサイモンは子供が餅をもらって歩く点に儀礼の視点が移って来ている。住吉では11日に親類の人が集まって系図祝いがある。また,15日・17日・19日にもショウヨウという親睦会があった。
 15日には小さな餅を木の枝に差して家に飾り,子供たちが歌を歌いながらもらって歩くコノミヤジョウという行事が全地区で聞かれた。この日は作祝いとも言われるが,大広野では漁家でも餅を飾った。浜津脇ではこの日,門木に餅を飾り,それが終わると全ての飾りを片付けた。住吉では門松は20日に片付ける。大広野では15日頃片付けるが,20日は精霊に供え物をした。沖ヶ浜田では門木は八十八夜まで取っておき,田の水口に立てた。

○2月から12月の行事

 春から夏の行事としては,集落上げての磯遊びの伝承が各地で聞かれた。また,沖ヶ浜田では5月節句でフツやショウブを軒に差す伝承が聞かれた。
 七夕には唐竹で七夕飾りを作るが,浜津脇ではクロイオを軒下に吊り下げる儀礼が聞かれた。盆には近い先祖だけでなく,水棚を作って無縁仏を祭る習俗が各地で聞かれた。住吉では無縁仏を外目の精霊と呼ぶ。沖ヶ浜田では石塔祭りの模様を聞いた。
 八月十五夜は,住吉,浜津脇では綱引きはしない。
 塰泊では12月に町祈祷があり,漁具の管理者であるベンザシの交替が行われる。


〔付記〕
 96年の8月8日から10日の種子島を語る会・鹿児島民具学会合同研究会を挟み4日間,2度目の西之表調査に参加させていただきました。初日の塰泊では,船主会の皆さんがカマス漁の配分をされているところに突然お邪魔し,活き活きとした漁師の皆さんに大変お世話になりました。
 94年師走の調査では,住吉のM.Fさん(M28生まれ),M.Fさん(T15生まれ)からのお話しが特に印象に残っています。その他にも各地の伝承者の皆さんや,日典寺の山田永順師匠,高重義好先生をはじめ語る会の先生方にも心よりお礼申し上げます。
 種子島の年中行事は,聞き書きだけではもったいないほどの豊かな内容です。ぜひ正月や盆の儀礼を,実際に見てみたいものだと思います。

[伝承者一覧] (敬称略)
西之表市伊関沖ヶ浜田 I.O.さん 大正3・10・31生
西之表市西之表大広野 K.A.さん 明治40・2・14生
西之表市西之表塰泊 M.I.さん(塰泊小組合長)・H.N.さん 昭和8年生まれ
西之表市住吉浜之町 M.F.さん 明治28・1・2生・M.F.さん 大正15年生まれ
西之表市住吉志和野 F.F.さん 大正2・6・8生
中種子町納官浜津脇 Y.E.さん 大正11・4・10生・Y.M.さん 大正3年生まれ・T.T.さん 大正3年生まれ

写真帖:種子島の民俗

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