武田上の伊勢講 今はない加世田市武田上の伊勢講 |伊勢講特集 < 2月伊勢講 < 加世田風物詩 < 南さつま半島文化|
●調査地
鹿児島県薩摩半島加世田市 長屋校区 武田上地区 柿本・中野集落(かせだ・ながや・たけだかみ・かきもと)
●調査日
1994.9.16
●伝承者
柿本集落・大正9年生まれ・女性
●未発表資料
昭和58年までは旧正月11日の夕方,オイセコサンをしていた。今は新暦12月の都合の良い日に係りから通知があり,神社へ行って祭礼と直会をする。昔は半年に一度したこともある。
今は老神神社へ預けてある。武田上地区にはもう一つオイセコサンがあったが,それも一緒に老神神社の境内にコンクリートの祠を建てて一緒に祭っている。[御伊勢講合祀記念碑碑文]
昔の構成員は1班(かつての門)に一人ぐらいで,最後の年には19人が入っていた。柿本だけでなく中野の人も入っていた。昔は25軒入っていたが,若い衆がよそへ家を建てて出て行き,だんだんと少なくなってきた。
だんだん人数も少なくなり,最後のころは料理を3品に決め会費も120円で焼酎と菓子を買うだけになった。
宿とワキ。ワキというのは,エショの家にお供していく人のこと。
その日まで1年間お祭りしてきた宿でくじを引く。くじ引きはあたりくじには丸を書いておき,それを引いた人は「あら当たった」と言って喜んだ。婚礼など縁起のよいことがある家に当たることが多く,そうした家へオイセコサンがトンデイクという。自分の家に当たったときには,米寿の祝いがあったときだった。
「都合がいい人は行ってくれ」と言って,魚1尾をワラヅト(藁筒)に入れて,焼酎を持って連れ立って当たった家まで行く。最後は自動車になった。
道中「ホイホイホイ,おーいゴズンケ(婚礼)じゃっど」などと叫びながらワキ役がついて行く。仮装はなく普通の服装で行った。鳴り物もない。ただし,宿の人が,主人にも客たちにも,顔や頭にソマンコ(そば粉)を塗りつける。皆そのままの顔で列を作り,歌をうたってみこしを送っていく。
迎えるほうでは,「来っど来っど当たったどー」などと言って迎える。焼酎をかんにして,魚を焼いてつまみにする。1時間くらい歓談すると,「そんなら頼むで」と言って送ってきた人たちは帰っていく。分かれるときに歌や踊りがあった。
宿のになった家の人は,1年間お神酒の焼酎と神柴を換えてお祭りする。ろうそくは灯さず,油を灯す。その年は豊作になり,縁起が良かった。
オイセコサンは農業の守り神だと聞いていた。亡くなった祖父によれば,昔伊勢に旅に行く人がいて,その人にツケゼンをした。ツケゼンをした人はイワラムラ・カワモトムラ・馬込村に一人ずつ(門に一人)で,その人たちがオイセコサンを始めたという。
オイセコサンには忙しくても行けといわれていた。