西山原向の伊勢講 今も宿移りの見られる加世田市西山原向伊勢講|伊勢講特集 < 2月伊勢講 < 加世田風物詩 < 南さつま半島文化|
●調査地
鹿児島県薩摩半島加世田市 津貫校区 中間地区 西山・原向集落合同行事(かせだ・つぬき・なかま・にしやま はらむけ)
●調査日
2000.2.11
●伝承者
参加者多数。
●未発表資料
オイセコという。2/11。木製の祠は高さ54・幅44・奥行き29センチメートル。普段は宿(現在は公民館)で,机の上にのせて祭る。机は高さ60・幅45・奥行き43センチメートル。ご神体は串状の木が50本ほどたばねてあり,白紙で包んであるもの(写真)。長さ26センチ。5本ずつ束ね,それをさらに束ねている。束ねるのは紙紐。
昔は乙名ドンのうちを回っていたのを,世の中の流れで士族のものと合わせて,集落で祭るようになり,ついで公民館で祭るようになった。30年ぐらい前から公民館になった。
今年は参加費として100円ずつお供えした。飲食代になる。
班の中でクジを引く。班は順番。班は吉留,竹原,白窪,清野,田中。ほかに士族の方が田中,椎原で回っていた。当たりくじには紙に丸を書いていた。くじ引きに参加するのは男性で,世帯主が出席。当時は若い人も多くてにぎやかだった。こない人からはムシン(罰金)を払ってもらっていた。
女性が料理を準備する。昔はニシメ・大根のユナマ(ナマスではない)などを各戸で作って持ち寄る。くじであたったところは別に作る。
隣の干河地区みたいに派手ではないが,顔にヘグロ(釜墨)を塗ったり,歌を歌ったりしていった。今では歌える人がいなくなった。カミシバを振りながた行った。ホーイホイホイという掛け声。迎える人もシバをふってお迎えする。
〔2000.2.11ドキュメント〕
13:00 原向の人々が西山公民館へ移動
13:30 1年間お祭りしてきた西山公民館で,西山公民館長あいさつ
その後,祝宴
14:00 原向の女性は準備のために先に原向公民館へ移動。
14:30 伊勢講宿移り
14:40 原向公民館到着
15:00 祝宴
当たった人が責任を持って1年間預かる。かみしば,焼酎を供える。
皇大神宮にお参りするのは大変なので,地元でお祭りするようになったのではないかと聞いたことがある。ありがたいことだ。
寛政12年申(1800)正月弐日の講箱の蓋のみ伝わっている。(縦37・横25・高さ1センチメートル)
知覧や大浦からカライモアメを売りにきて,その場で割って売っていた。子供はそれを食べるのが楽しみだった。カライモアメがオイセコにはつき物だった。戦前の話。カライモアメをかまんとあかんといわれていた。