上津貫の伊勢講 今も宿移りの見られる加世田市上津貫の伊勢講|伊勢講特集 < 2月伊勢講 < 加世田風物詩 < 南さつま半島文化

加世田市上津貫の伊勢講行事


地図●加世田市上津貫
●調査地
鹿児島県薩摩半島加世田市 久木野校区 上津貫地区 浦口・新山・新地・福元・上門5集落合同行事
(かせだ・くきの・かみつぬき・うらぐち しんやま しんち ふくもと うえんかど)
●調査日
1996.1.11/1997.1.11/1998.1.11/2002.1.11
●伝承者
参加者多数。
●未発表資料

*動画●2002年上津貫宿移り
MediaPlayer 1分間) [動画ヘルプ]


写真●上津貫オイセサン●祭日・名称・御神体

1月11日。昔は2月11日。オイセドン又はオイセサンという。伊勢の皇大神宮のお札がご神体。祠は以前のものが古くなったので,1995年に65年ぶりに作り直した。昔の祠は天御中主神神社に収めた。

●宿・講員・掛け金

以前は各家庭を持ち回りで行っていたが,上津貫5集落の公民館で順番に回すようになった。隣の集落に移すのは道中が短いということで,わざと一集落飛び越えて宿を移すようにしてある。上門→新地→福元→浦口→新山の順番。昔は小原も入って回っていたが,今はお賽銭を備えてもらうだけになっている。2002年現在上津貫地区149世帯で,1世帯30円を収める。

写真●上津貫御伊勢講料理●くじ

昔は総出でくじを引いて宿を決めていた。昔はワッ(脇―世話役のこと)がくじを引いてオイセサンを祀る家を決めていた。

●準備

送る方と迎える方の両方の公民館でお祭りがあるので,両集落では,各世帯どんぶり1杯ずつ,ニシメやゆで卵などを持ち寄る。

●宿移り

まず送る側の公民館に,迎える側の集落の人々も集まって,2集落全員でお祭り(飲み会)がある。お供えの焼酎2本を飲みほしたところで終わり。公民館に1年間祀ってきた祠を,台・祠・鳥居に分解し,賽銭箱や徳利・花瓶などの小道具とともに,縁側から出す。担ぐのは迎える側の人々。この祠を渡したところで,1年間の役目が終わる。
新しい宿までの行列は,先頭でシビ(御幣)を振って清め,賽銭箱,鳥居,花瓶,オイサセンの祠と続く。2集落以外の集落の人々は道中でお賽銭を入れてお参りする。道中は太鼓や踊りはないが,御伊勢講の歌をうたって歩いた。今は歌える人がいなくなったので,テープにとっておいた古老の歌う唄を流している。(2002年から祠は軽トラックに積み,テープは擦り切れたので流せなくなった。このトラックの後を迎える側の集落の人々が前の宿からゆっくりと付いていく)
写真●上津貫御伊勢講宿移りオイセサンを迎えるときに公民館に入れる前に,面を被って女の人たちが踊って迎えたりした。毛布丹前などを着て,椿の枝を振って迎えたりもする。オイセサンはにぎやかなことが好きな神様だといわれている。新しい宿に着くと,縁側から上がり,昔はオイセサンの唄にあわせて踊りをおどった。

〔2002.1.11ドキュメント 浦口→新山〕
13:20 浦口公民館で公民館長が会計報告
13:30 新山の人々が浦口公民館へ到着
(本年はここで,井上による伊勢講の解説を行った)
13:45 祝宴
写真●上津貫御伊勢講宿移り14:15 伊勢講宿移り出発
(門口から軽トラック。浦口公民館→上門集落入り口→新地集落→福元集落→新山公民館)
14:45 新山公民館到着(門口で椿の枝を婦人が振って出迎え)
14:50 祝宴

●宿祀り

今は1年間公民館でオイセサンをお祭りする。

●俗信その他

○疱瘡:子供がお団子を作ってオイセサンに供えたりしていた。子供の生まれた家で,米粉で疱瘡団子(ホソダンゴ)を作り,小さなものを三つ紙に包んで「ホソカルカル,三つ」と唱えながらオイセサンにお供えした。

○その他:大浦からカライモアメを売りにきて,にぎやかだった。
神様なのだから当たったら嬉しいはずなのに,不幸があったり,面倒くさかったりするので「当たらにゃよい」と思っていた人もいた。オイセドンが自分の家に来ると不幸になるという人もいて,実際に運が悪いと「今年はオイセドンが来ったせー,フが悪かった」(今年はオイセドンが来たので,まんがわるかった)などといったりもする。

▲上に戻る

[南さつま半島文化HOME]  [サイトマップへ]  [伊勢講Index]


(C) 2022 薩摩半島民俗文化博物館 - 南さつま半島文化 - お便り