10月 加世田鍛冶金山講 加世田市小湊の鍛冶屋に伝わる金山講(金屋子神)の変容。| 加世田風物詩 < 南さつま半島文化|
県体の日(1996.9.21),選手団とともにさわやかな秋風が運ばれてきました。各集落の季節を先取りする「かせだ風物詩」,今月は,鍛冶屋さんの秋祭りを紹介します。
毎年10月1日,小湊の屋敷集落(こみなと・やしき)では昔からカッコ(金山講)という鍛冶屋のお祭りがあります。この日は,当番になる家で朝から男性だけが料理を手作りし,夕方,神様にお神酒をあげてお祭りします。当番のことをエショと呼び,料理などの準備を手伝う役をワキと言います。ワキには,前年とその次の年のエショが当たります。エショになる順番はあらかじめ決まっていて,このお祭りから1年間,鍛冶の神様を預かります。
こうした祭り方は,江戸時代の武士が多かった集落のオイセコウ(冬にある伊勢の神様のお祭り)でも,同じようなものがありました。
さて,鍛冶の神様は,小湊屋敷では金山様と呼ばれ,二つの掛け軸になっています。二つあるのは,以前鍛冶屋の数が多かったころ,2組に分かれてこの神様をお祭りしていたからだそうです。
この金山様は西日本の鍛冶屋や鋳物師(いもじ)に広く信仰されているカナヤゴガミ(金屋子神)という,鉄と火の神様のことのようです。以前は女性が鍛治小屋に入ることが喜ばれなかったと小湊でも言われますが,危険な場所に女性を近づけないという意味と,この金山様が女神だからやきもちを焼くという意味があったのかも知れません。
かつて数十軒あった加世田鍛冶も現在ではわずかに5軒。2組あったお祭りも一つになり,昨年(1995)からは家々でのエショが公民館に代わりました。しかし今も,加世田の年の市や川辺の二日市ではたくさんの加世田包丁・加世田鎌が並びます。また,材料の改良や機械の導入を積極的に進めてきたという鍛冶屋さんのお話もお聞きしました。何とか伝統の火を守っていけないものでしょうか。すばらしいものなんですから・・・。