*南さつま歴史街道 - 名勝図会

三国名勝図会
第27巻 薩摩国川辺郡 (3)

薩摩国川辺郡 久志 秋目

秋目港の現景


史料 注・固有名詞

1 山水

1-5

秋目港〔地頭宅地より、子方、二里余。〕

秋目村にあり。此港南より入たる海湾なり。周廻凡そ七町余。港口の東には、島嶼相連り、〔一島には、天満神を祀り、一島には、弁才天を祭る。共に其詳なるは下に附載す。〕 其西岸には、素麺崎といへる巖觜突出す。故に湾内港となる。然れとも深きこと僅に四尋にして、風涛高く、大船の安泊を得ずとぞ。前海西南の方は、鶴喰崎の地海上に突出し、〔鶴喰崎の地方は、久志村に属す。〕 又西は蒲葵島海上に扞蔽し、且衆嶼怪巖所々に相点して、風景殊に愛すべし。村民悉く港に臨んで居をなす。

【秋目港】
【秋目村】
【素麺崎】正面岬
【鶴喰崎】唐岬
【久志村】
【蒲葵島】枇榔島(びろうじま)。沖秋目島

27-3a

図「秋目港〔自亀石所見〕」
秋目港の現景

【タテカミ】
【ツルハミ】

27-3b

【小島】
【大島】
【今岳】
【亀石】
【御所館跡】

27-4a

付記1

天満神祠

秋目港口にあり。港口の東に、大巖巒突出し、周廻五町、高さ一町許にして、奇石怪崖崔嵬として、樹木森然たり。此巓に天満神の石祠を建立す。土人の説に、秋目村の漁戸、今の市兵衛が先祖十兵衛、〔市兵衛より四五代以前に当る。〕 八右衛門が先祖の助次郎といへる者あり。此両人十兵衛が家船天神丸へ、凡そ十六人乗て、官米を載せ、琉球道の大島に赴く。洋中にて逆風に遭ひ、水竭て渇死せんとす。両人雅より天神に帰仰す。是に及て神助を祷りしに、船魂神花瓶の内に水あり。其水を飲て、渇を癒すべしとの霊夢を蒙り、唐土へ漂流し、遂に帰国を得しかば、両人其報賽(クハンホトキ)として、当社を建立し、其子孫へ遺命して、天神を敬信せしむといふ。又此天神山へ、吹螺の声を発することあり。然る時は、風涛の変ありとて、海上に漁する者は、速に帰り、家にある者は、海上に出でず。土人吹螺の声を聞る

【天満神祠】
【秋目港】
○巒:みね、やまなみ
○崔嵬(さいかい):石や岩がごつごつ出た険しい山。草木のない土山
○巓(いただき)
【秋目村】
【市兵衛】【十兵衛】
【八右衛門】【助次郎】
○竭て(尽きて)
○報賽(クハンホトキ)(願解き)
【天神山】
○吹螺(ほら):法螺(貝)

27-4b

者、今に毎々ありて、其応験必然なりとかや。故に土人敬礼す。祭祀十一月中に吉日を択ぶ。又三月三日は、縁日なりとて、闔村参詣せざる者なしといふ。又天神山の側に小嶼あり。弁才天の石祠を建つ。故に弁天島といふ。潮退く時は、連壌となる。此三祠の地、景色佳絶なりとぞ。

○闔村(こうそん):全村
【弁天島】

27-5a

付記2

弁天島

前文に出つ。

【弁天島】

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