*南さつま歴史街道 - 名勝図会

三国名勝図会
第27巻 薩摩国川辺郡 (3)

薩摩国川辺郡 久志 秋目

秋目港の現景


史料 注・固有名詞

4 旧跡

4-1

持明夫人行館跡〔地頭宅地より子方、二里余。〕

秋目村にあり。後は木船山に倚り、前は秋目港に臨み、清水川其側に流れて佳勝の地とす。秋目村は、 持明夫人の所領にして、其時の行館なりといふ。今邑士辺牟木氏が宅地となる。又此地に居る者は、鶏を畜ふことを禁ず。鶏を畜へば、雌鶏必ず雄鶏に化して鳴といふ。

【持明夫人】慈眼公(島津家久)正室
【秋目村】
【木船山】
○倚り(より)
【秋目港】【清水川】
【辺牟木氏】鶏を畜ふことを禁ず

27-8b

4-2

亀石〔地頭宅地より子方、二里余。〕

秋目村前条行館跡の(タフミ)、三十歩許にあり。其石竪六尺四寸、横四尺、近衛関白信輔坊津に在りし時、遊歴し、此石に憩ひ給ひしといへり。亀石より望めば、秋目浦の風光一望に帰して、佳絶なりとぞ。

【亀石】
【秋目村】
【近衛信輔】近衛信尹(のぶただ、信基)安土桃山時代の公家。後陽成天皇の勅勘により1594〜1596坊津に配流。後に許されて関白

27-9a

4-3

持明夫人納涼石〔地頭宅地より酉戌の方、二里余。〕

秋目村にあり。夫人行館跡を距ること申方、四町許、大巖石にして、海水に臨む。高さ四五間、周廻七八間、其中に洞穴ありて、前後に通ず。雨を避くべく、五六人を座すべし。 持明夫人時々来て納涼し給ふといふ。又此巖穴の前、群魚の聚る所なれば、釣を垂るゝの場となる。

【持明夫人納涼石】
【秋目村】

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