*南さつま歴史街道 - 名勝図会

三国名勝図会
第27巻 薩摩国川辺郡 (3)

薩摩国川辺郡 加世田

野間岳(小松原より)


史料 注・固有名詞

1 山水

1-2

万之瀬川

上流は、川辺邑より当邑に来て、川端村村原村地頭所村益山村と、阿多邑の境ひを過ぎ、田布施邑の地に入り、半里余を過て海に入る。また当邑の長屋山より、長屋川来り。山田邑より神事川来り。両川一処村原村にて、万之瀬川に合流す。水勢頗ふる大ひにして、駅路舟渡しなり。往古は此川益山村唐仁原村小湊村と、田布施邑の境ひを経て、海に入りしか、享和三年、今の地に決して、海に入る。然かる故に、今にも俗に猶加世田の万之瀬川と呼ぶ者多し。

万之瀬川
○川辺(かわなべ)邑:南九州市川辺町
【川端村】川畑【村原村】【地頭所村】【益山村】【阿多邑】【田布施邑】
【長屋山】【長屋川】
○山田邑:南九州市川辺町勝目地区
【神事川】
【唐人原村】唐仁原【小湊村】
○享和三年:1803年

27-15a

付記1

長屋川神事川

前文に見ゆ。

【長屋川】
【神事川】

1-3

諸白川

赤生木村にあり。久志秋目の秋目分界を過る小川なり。〔秋目港より子方十町許。〕 近衛関白信輔、坊津に配流の時、嘗て此に過く、此水を飲て、諸白酒の如しといひ給ひしとて、名を得たり。傍に御憩石(コシカケ)と称ぜる者あり。

【諸白川】
【赤生木村】【久志】【秋目】
【近衛関白信輔】近衛信尹(のぶただ、信基)。1594〜1596坊津に配流
【御憩石】

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