節 | 史料 | 注・固有名詞 | 頁 |
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1 山水 |
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1-4 |
片浦港〔地頭館より酉戌方、五町余。〕 片浦村にあり。野間岳の東麓に属す。港口北に向ふ。港の西は、地形南に入て、回転し、山ありて相繞る。港に東は、陸地の尖觜あり。南の方小浦といへる処より、北に向ひ、海中に突出すること一里許。其觜の中程は細くして、觜頭は復大なり。觜頂に岡あり。碕山といふ。因て此觜の名を碕山觜といふ。東西二面は、かくの如き地形なる故、海形彎曲をなして港となる。又港口には、二島ありて、風涛を扞蔽す。其一を盾羽島といひ、其一を竹島といふ。又港の窮屈に里瀬川あり。西北より来て港に入る。凡港中の入り半里、港口の横幅六町許深さ十八尋ありて、大船数百艘、泊繋を得べく。実に本藩の良港なり。又港口の西岸に、一小湾ありて、舟船を停るに好き処あり。其西岸上、人家最多し。通商の唐船逆風に遭へる時、此港に泊繋すること往々あり。此港啻に良善のみならず、港 |
【片浦港】 |
27-15b |
口には島嶼双ひ峙ち、港記しには人烟断続し、港東には碕山の觜突出の状、蜒蜒として竜の浮ぶが如く。又此觜の上より、隅海の桜島峰遠く雲際に秀て奇を呈し、其四辺の山は、翠を浮へて海水と相映し、其風帆浪舶の往来せる。漁歌棹唱の相答へるもありて、其佳勝殊景、具さに述ぶべからず。文明十二年、正月元日、此港に大魚上る。長さ二十四尋、横幅五尋、凡二百疋といふ。正保四年、六月、西洋人肥前国長崎に来る。其徒天主教を奉ず。故に鎮台令を下し、衆をして是を追はしむ。其徒帰る。西国の諸侯をして、其津港を守らしむ。於是 寛陽公其命に応じ、島津豊前久守、佐多又四郎久高をして、片浦を守らしめ給う。 |
○双ひ(ならび) |
27-16a | |
付記1 |
○小浦 片浦港内の東面にあり。此所一小湾あり。東に入て頗る長し。舟舶の聚集せる処なり。浦頭人家多し。片浦港内の一佳地なり。 |
【小浦】 |
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図「片浦港」 |
【片浦港】 |
27-16b |
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【小浦】 |
27-17a |
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付記2 |
○竹島 片浦港口より東北、十町許の海上にあり。周廻五町四十間、高さ六十間。島上に石祠あり。祭神瓊々杵尊。 |
【竹島】神ノ島 |
27-17b |
付記3 |
○楯羽島 片浦港口二町許にあり。周廻六町二十間、高さ八十間、一名橘島といふ。 |
【楯羽島】立羽島 |
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1-5 |
桟敷島 片浦村、小浦の東、海中五町許にあり。周廻六町許、梅岳君嘗て船を浮かべて遊賞し給へる処なりとて、御 |
【桟敷島】【片浦村】【小浦】 |
27-17b |
1-6 |
松島 片浦村の海中、桟敷島の寅方、三町許にあり。周廻六十間ありて、巖嶼なり。松樹若干株あり。梅岳君の御詠歌に、 |
【松島】 |
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1-7 |
碁石浜〔地頭館より西方、四里半余。〕 片浦村にあり。桟敷島を距ること西一町 |
【碁石浜】 |
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許。海辺碧色の石大小聚りて、其状奇麗なり。故に碁石浜といへり。遊覧の人多し。又碁石浜を去こと亥方二町許の所を黒浜と呼ぶ。亦碧石あり。 |
【黒浜】 |
27-18a |
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