*南さつま歴史街道 - 名勝図会

三国名勝図会
第27巻 薩摩国川辺郡 (3)

薩摩国川辺郡 加世田

大浦潟


史料 注・固有名詞

1 山水

1-8

笠石〔地頭館より西方、四里。〕

赤生木村にあり。高さ一丈許。彷彿として笠を被りたるが如し。下に小祠あり。笠石権現といふ。大浦村より海渚の隣にて、潮漫の処なり。又笠石の東五町許に、笠松あり。岩上に松生じて、偃蓋をなす。梅岳君の御詠歌に、
 旅人の時雨にぬれし大浦潟
  笠石もあり笠松もあり

【笠石】
【赤生木村】
【笠石権現】
【大浦村】
【笠松】
【梅岳君】
【大浦潟】

27-18a

付記1

笠松

前文に見ゆ。

【笠松】

1-9

弥勒石〔地頭館より申方、四里許。〕

大浦村にあり。高さ六間、周廻十四間、仏像に似たり。往古は入道石といひしに、梅岳君今の名に改め給ひしとぞ。

【弥勒石】
【入道石】
【梅岳君】

図「大浦潟〔自海上所見〕」
大浦潟

【大浦潟】
【岳越】
【赤生木村】
【笠石】
【大浦村】
【桟敷島】
【フタゴシマ】
【ケイシマ】

27-18b

【松島】
【長尾山】長屋山のことか

27-19a

1-10

諸島合記

鵜路島〔又宇治に作る〕 当邑の海中にありて、属島なり。人家なし。此下の二島、皆是に同じ。此島周廻一里、島上寛平にして、漁人留宿の草舎あるのみ。海東諸国記に、宇治島に作る。此鵜路島にて、漁師の詠る。唐船が鹿の真似してうち通る、手火矢なければ見て過すなり。〔手火矢は、鉄砲なり。唐船のすぐるは、鹿の青野を走るが如く見ゆるをいふなり。〕 △向島 島根直立して、船を繋べからず。以上二島、笠砂御碕の南に距ること四十里許とす。唐土のの珍禽、多く渡り来る処なり。 △草蠣(クサカキ) 鵜路島より十八里、西北にあり。周匝一里、海東諸国記、草墻島に作る。此諸島大小群魚の聚ること要地にして、漁人のみ至る処なり。此草蠣は、春夏の間も風吹こと絶へず、寒さ冬のごとし。唯極暑の時、稍暖気を覚ふといふ。夕陽快く晴るの日、西北を望めば、朝鮮の地方、黛色の如く、海上に浮み見ゆるとかや。

【鵜路島】【宇治島】宇治群島
○草舎:草ぶきの家。わらや
○海東諸国記:『海東諸国紀』の誤記。朝鮮の歴史書(1471年)
【向島】宇治向島
【笠砂御碕】野間岬
【草蠣島】草垣群島(くさがき)
○周匝(しゅうそう):めぐり
○稍(やや)
○黛色(たいしょく):まゆずみの色。山または樹木などの青ぐろい色

27-19b

1-11

吹上砂丘

当邑の海辺砂山、益山村唐人原村小湊村に相連る。小湊村小松原浦の辺、最堆く、砂山の状は、田布施の巻に詳なり。

【吹上砂丘】吹上浜
【益山村】
【唐人原村】唐人原
【小湊村】【小松原浦】

27-20a

2 居処

2-1

野間御碕馬牧〔地頭館より酉方、七里余。〕

片浦村に属す。野間岳以西は、笠砂碕の尖觜遠く海上に突出せるに、此馬牧其岳西の大觜にあり。周廻三里、三面は海に臨む。一面は即ち野間岳なり。

【野間御碕】野間岬
【片浦村】
【野間岳】
【笠砂碕】野間半島

27-20a

【免責】このページは、私自身が三国名勝図会を読む際に読みやすいようメモしたものです。校正も不十分で、記述の誤りがあるかもしれません。したがって、研究で引用される場合は、改めて原書に当られた方が確実です。このページの利用にあたっては、何卒自己責任でお願いいたします。

[薩摩民俗HOME]  [サイトマップ]  [三国名勝図会27巻加世田]


(C) 2009 薩摩半島民俗文化博物館 - 鹿児島・半島文化 - 半島文化へのお便り