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(6) 太鼓踊りの桴の種類と分布

 ここまで薩摩半島における太鼓踊りの概要を、桴を視点に見てきた。その分布を、図1に整理した。

図1 薩摩半島における太鼓踊りの桴の分布
薩摩半島における太鼓踊りの桴の分布図

 分布図を見てまず気づくのは、薩摩半島東岸、錦江湾側では、伝承が希薄になっていること。指宿市中川のごちょう踊りも鬼神面を取り入れて風流化が著しい。

 次に、半島西岸に目を移すと、北から順に、■→●→▼と分布している。■印はムベなど木の枝を用いた40〜70cmの細長い桴を用いる地域で、日置地区に分布している。しなりがあり、甲高い音が出る。この分布は、参考文献を見ると、北薩へにも広がるようだ(注5)。ここでは「木の枝型」と呼ぶことにする(事例6・7・9〜11)。

 次に、●印で示した分布領域は、藁を掬って(なって)縄状にした20〜30cmほどの桴を用いる地域で、南さつま市北部から南九州市に分布する。太鼓の響きは、木の枝型よりは柔らかい。ここでは「切り縄型」と呼ぼう(事例1〜3・12)。

 最後に▼印は、藺草を束ねてくくったもので、長さは15〜17cm。藺草を用いると伝承されているが、津貫上門のものは「サンカクイ」と呼ばれる種と思われる。大浦のものもこれを用いていたのではなかろうか。この夕イブの分布領域は、海を隔てた三島村の黒鳥まで広がる(注6)。この桴は手のひらにすっぽり入るほど小さいもので、太鼓を打つのには不向きだ。形状から「粽型(ちまき がた)」としておこう(事例14〜17)。

 これら「木の枝型」「切り縄型」「粽型」以外に、分布領域を持たない単独型がある(図の白抜き□・◇・〇印)。具体的には、木製すりこ木状の桴(事例19鹿篭・20中川と手持ち太鼓の13加世田・5市来)、それを小さくした桴(18久志)、藁苞状の桴(8伊作田)の例が見られる。

4 考察

(1) 桴の響きとその意義

 前節では、薩摩半島における太鼓踊りの事例を紹介し、大太鼓に用いられる桴の種類と分布を整理した。ここでは、様々な材質・形状をもつ桴の、それぞれの意味を考えてみたい。

三種の桴の響き まず、分布領域を持つ桴三種の太鼓踊りについて、検討してみよう。細長い木の枝型から、切り縄型、太く短い粽型へ向かうに従い、太鼓の響きは小さく、その音程は低くなる。打ち方は早く軽快に激しく打ち鳴らすものから、ゆっくりと厳粛に打つものになる。
 ここで視点を、鉦の音に移そう。鉦はいずれの地域の太鼓踊りでも、甲高く響き渡り、踊り全体をリードする。太鼓の響きと鐘の響きとを、相対的に比較するとどうなるだろうか。
 木の枝型の桴を用いる地域では、太鼓の音が良く響き鉦の音は相対的に小さく聞こえる。一方粽型の桴を用いる太鼓踊りでは、太鼓の響きが小さいので、相対的に鉦の音が強調される。切り縄型はその中問で、太鼓・鉦双方の音が響くものといえよう。

表3 太鼓踊りの桴の形質と効果
形質と効果 ■木の枝型 ●切り縄型 ▼粽型
桴の材質 木製 藁製 藺草製
桴の長さ 長い 中間 短い
桴の太さ 細い 中間 太い
太鼓の響き 大きい 中間 小さい
太鼓の音程 高い 中間 低い
太鼓の打ち方 早い 中間 ゆっくり
相対的な響き 鉦 < 太鼓 両立 鉦 > 太鼓

太鼓と鉦の意義 三種の桴は、相対的な鉦の音の響きにより、祖霊供養を目的とした念仏踊り的要素の強い粽型、虫送り的要素の強い木の枝型、その中問に位置する切り縄型と、考えることはできないだろうか。
 さらに小野重朗が想定した古い太鼓踊りにおける歌の重要性についても、太鼓の響きとの相対的な比較から、鉦の響きと同様の解釈ができる。
 ではこれらの新旧を考えると、どうなるだろうか。木の枝型の地域には、変容し、風流化した太鼓踊りが多く見られる。陣羽織の着用、矢旗の大型化・多様化、太鼓の巨大化、隊形変化の多様化などから分かる。一方粽型の桴を用いる太鼓踊りでは、矢旗を背負う場合でも、山鳥の羽を用いるなど落ち着きがあり、服装も小湊の中打ちで白衣を用いるなど清楚な趣がある。隊形も入退場を除くと二重円陣だけで、より単純なものとなっている。
 粽型の桴は、太鼓を打つためのものではなく、採り物の一つとして機能している。冒頭の研究史で紹介した小野の想定「太鼓踊りの古い形が鉦と歌い手からなる」(注7)からさらに踏み込み、「太鼓は不要であった」と考えるのは飛躍しすぎだろうか(「太鼓踊り」と名付けるには矛盾するが)。

すりこ木型・藁苞型の桴 そうすると、分布領域をもたない桴の太鼓踊りの意味も分かる。まず小さなすりこ木型の18久志の例は、太鼓を叩くことはほとんどなく、桴を持って踊りを見せる。つまり、相対的に鉦の音が響くもので、木製ではあるものの粽型の桴を用いるのと同じ役割を担っている。その他のすりこ木型のもの(5市来・13加世田・19鹿篭・20中川)も、細長い木の枝型と比べると太鼓が低く響くもので、相対的に鉦の響きがよく伝わり、全体として厳粛な踊りになつている。つまり、これらはいずれも念仏踊りを背景に発展したと考えられる。一方、分布をもたない点に注目すると農・漁村の「村落」ではなく、より都市的要素の強い「街」の芸能であるという点があげられる。風流化が一早く進んだものと考えられる。
 次に、藁苞型の8伊作田踊りは、太く長いが、藁を用いているため、ズドズドという響きになり、やはり相対的には鉦の響きが強い。つまりいずれも鉦の響きを強調するために、これらの桴が用いられているとは言えないだろうか。

(2) 勝目太鼓踊りの位置付け

 最後に、以上の検討結果から、勝目に伝わる三地区の太鼓踊りの位置付けを考えてみよう。

勝目太鼓踊りの特徴 まず特徴を整理してみる。
@上山田・中山田太鼓踊りでは、ワラフリと呼ばれる先導役が登場する。これは、大太鼓(ワッデコ)の桴が発展したものと思われる。
A大太鼓の桴は細長い藁製。この切り縄型の桴は、南九州市のほかは、南さつま市益山のみに分布する。
B歌詞は、A上山田・下山田と、B中山田の二グループ分けられる。Aは南薩で広く伝承しているもので、一方中山田のものは加世田津貫・大浦で伝承されている。

勝目太鼓踊りの意義 太鼓踊りは一般に、念仏踊りと田楽に由来するといわれる(注8)。勝目の太鼓踊りは、その系譜を引く祖霊供養と豊作感謝、それぞれの願いが複合した太鼓踊りといえる。そうした要素の上に、のちに戦陣伝説が付け加わったのだろう。
 大太鼓の桴に着目すると、勝目・加世田益山より北の日置地区は、細長い木の枝型を用い、太鼓を大きく響かせる。一方、この地区から南は粽型の藺草製の小さな桴を用い、太鼓の音はほとんど出さず、優雅に踊りを舞う地域となる。
 木の枝型の桴を用いる地域では、太鼓の昔でサベ(稲害虫)を追い払い豊作を願うのに対し、粽型の桴を用いる場合は先祖供養の要素が強い。そしてその中間に位置するのが勝目地区の太鼓踊りということになる。
 歌詞の面から言えば、中山田が粽型桴地帯のものと、上山田・下山田が木の枝型地帯のものと共通するといえる。また、中山田に矢旗がないことも、上山田・下山田と別系統の発展を遂げてきたことを明らかにしている。このことから、「戦の前後」という伝説的な解釈以前に、二系統の太鼓踊りがすでに成立していたと考えられる。
 つまり、勝目地区の太鼓踊りは、日置地区に続く勇ましい虫送り系の要素の上山田・下山田太鼓踊りと、厳かな念仏踊り系の要素の中山田太鼓踊りとを伝承する、実に重要な太鼓踊り群といえよう。

5 結び

 以上、薩摩半島における太鼓踊りの桴を見てきた。まとめると、次のようになる。

@薩摩半島の太鼓踊りの桴には、細長い木製の木の枝型、藁を用いる切り縄型、藺草を用い太く短い粽型が北から順に分布する。
Aまた、分布領域を持たない単独の事例として、木製のすりこ木型及びその小型、藁苞型の例がある。
Bそれぞれの太鼓の響きと鉦の響きとを相対的に比較すると、木の枝型を用いる踊りでは太鼓が、一方、粽型を用いる踊りでは鉦の響きが大きい。すりこ木型及びその小型、藁苞型も粽型と同じ背景をもつ。
C鉦の響きが強い踊りは念仏踊りの要素が、太鼓の響きが強い踊りは虫送り(虫追い)の要素が、それぞれ強いと考えられる。
D切り縄型を用いる勝目の太鼓踊りは、それぞれの要素を兼ね備えた、分布構造上重要な民俗芸能と言える。

 本稿では大太鼓の桴から、太鼓と鉦との相対的な響きの大小を考え、以上のような結論を導いた。隊形や服装、鉦・小太鼓・大太鼓それぞれの振り・楽器・楽(音色)、歌い手の曲(節回し)に歌詞と、検討すべき課題は多い。民俗芸能はそれらの要素が複雑に連関して成り立っている。また、多彩な変容がみられる北薩地域の太鼓踊りとも比較が必要だ。これらは今後の検討課題としたい。

 最後に、各集落でお世話になった保存会役員、踊り子の皆さんに、深く感謝申し上げたい。


〔注〕

  1. 下野敏見は、民俗芸能の見方、研究の仕方を民俗学的に理解するのでなければ、本当の民俗芸能の理解には至らないとし、第一に芸能の諸要素(服装、採り物、楽器、歌詞、曲、楽、隊形変化、振り)をあらかじめ調べておき、第二に実際に踊るのを見て、第三に期日や場所などに注意しながら、祭礼と芸能の展開を構造的に理解し、その趣旨と意義を把握する−という方法論を示している。〔下野1980 229頁〕
  2. 下野敏見『南九州の民俗芸能』82頁。
  3. 『復活50周年津貫中間豊祭太鼓踊記念誌』23頁。
  4. 小野重朗『祭りと民俗芸能』175頁。
  5. 下野敏見前掲書、小野重朗前掲書。
  6. 小野重朗前掲書の報告によれば、黒鳥片泊の太鼓踊りは「盆に来る精霊を祀り慰める祭り」で、概要は次のとおり。旧暦7月15日に堂の前で踊り、構成は鉦2人、中太鼓1人、大太鼓8人、ジウテ(地謡)8人。桴は藺製。〔小野1993 198−199頁〕
  7. 小野前掲書209頁。
  8. 下野敏見によれば、太鼓踊りは「歴史的にみると、うちがわの輪は念仏踊りにつながるものであろう。…そとがわの輪は田楽に由来するものであろう。南九州のテコオドイはこの二つの流れが一つになり、盆に踊って地方領主の霊をなぐさめ、もってサベ(稲虫)の発生をふせいでいるのである。」という。〔下野1991 169頁〕

〔参考文献〕

小野重朗1990『南九州の民俗文化』法政大学出版局
小野重朗1993『南日本の民俗文化W 祭りと芸能』第一書房
下野敏見1980『南九州の民俗芸能』未来社
下野敏見1991『さつま路の民俗学』丸山学芸図書
下野敏見2005a『南九州の伝統文化T 祭礼と芸能、歴史』南方新社
下野敏見2005b『南九州の伝統文化U 民具と民俗、研究』南方新社
下野敏見編1994『川辺町民俗資料調査報告書(2)川辺町の民俗』鹿児島県川辺町教育委員会
編纂委員会編1976『川辺町郷土史』鹿児島県川辺町
編さん委員会編1982『知覧町郷土誌』鹿児島県知覧町(1294−1354頁の第八篇第八草「民俗芸能」は、下野敏見執筆担当)
編集委員会編1990『頴娃町郷土誌改訂版』鹿児島県頴娃町
編さん委員会編1988『日吉町郷土誌・下巻』鹿児島県日吉町
編さん委員会編1987『金峰町郷土史・下巻』鹿児島県金峰町
編さん委員会編1986『加世田市史・下巻』鹿児島県加世田市
編纂委員会編1995『大浦町郷土誌』鹿児島県大浦町
編さん室編1985『指宿市誌』鹿児島県指宿市(1228−1264頁の第六篇第七草「民謡と民俗芸能」は下野敏見執筆担当)
南九州市教育委員会文化財課編・発行 2012『南九州市文化財ガイドブック(川辺地区)』
知覧町教育委員会文化財課編 2000『知覧町文化財ガイドブック』、ミュージアム知覧発行
南九州市教育委員会文化財課作成資料「勝目地区太鼓踊りの概要」
下山田東区作成資料「昭和58年8月川辺町下山田東区太鼓踊り中人鉦口伝譜」
復活50周年記念事業実行委員会編1995『復活50周年中間豊祭太鼓踊記念誌』津貫中間豊祭太鼓踊保存会

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