太鼓踊りのバチ - 南九州市・いちき串木野市・日置市・南さつま市・枕崎市・指宿市|鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME|
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枕崎市では、東鹿篭(ひがしかご)・西鹿篭(にしかご)の秋祭り(豊祭)に、太鼓踊りが伝わっている。桴は木製のすりこ木型(写真28〜30)。
【事例19】鹿篭の太鼓踊り 新暦10月28日に西鹿篭の南方神社で、翌29日に東鹿篭の妙見神社に奉納され、両日とも奉納後、地区内を回る。西鹿篭(山下・水流 - つる)太鼓踊りと東鹿篭太鼓踊りの二踊り。鉦1人、入れ鼓1人、ナカオドリと呼ばれる大太鼓20名ほどと、歌い手で構成される。かつてはヒラオドリと呼ばれる踊り子もあったが、現在は廃止されている。鉦・入れ鼓からナカオドリ、ヒラオドリへの年齢階梯制が見られたという(注4)。
カネ・入れ鼓は振袖に花笠姿。笠の上には蛇の目状の花飾りが三方向に向けて付けてある。あたかも頭上に目があるように見える。カネは右手に鉦を、左手に撞木を持つ。入れ鼓は首から胸の下に垂直に吊り下げた小太鼓を、両手に持った桴で叩く。ナカオドリは、浴衣に朱色の手ぬぐいを被り、顔の前にベールを垂らしている。矢旗は背負わず、太鼓は肩から腹の前に垂直に吊り下げ、両手に持った桴で打つ。
隊形はカネ・入れ鼓を取り囲むようにナカオドリが円陣を組む。歌い手はその外から歌う。歌詞の歌い出しは「熊谷次郎直実殿」「ヘゴ(肥後)の高城のニホノ松」「川の瀬にそう鮎をとる」などがある。
ナカオドリの桴はタラの木製で、保存会の方によれば、「細工がしやすく、白いので神聖な木に思える」という。実測したものは、西鹿篭29cm、東鹿篭30cm、直径はいずれも約4cm。歌声が重厚に響き、華やかさよりも荘厳に感じられる踊りとなつている。
指宿(いぶすき)地方は、太鼓踊りは希薄地帯のようだ。太鼓踊りの風流化が進んだ形態といえる「ごちょう踊り」について、最後に紹介しよう。
【事例20】中川のごちょう踊り 正月元旦に高祖神社に奉納される。2014年の踊り子は親鉦2人、子鉦3人、ソゴ(小さい鉦)2人、入れ鼓1人、太鼓5人で構成され、それに鬼神面4人がついていた。鉦は鎧に烏帽子姿、左手に持った鉦を、右手の撞木で打つ。太鼓打ちは自ズボンに長袖の上着、鉢巻姿。ヤマと呼ぶ矢旗を背負う。タラの木の皮をシベ状に垂らし、その中に大きな金色の花飾りが入っている。あたかも目玉のようだ。太鼓は両肩から胸の前に垂直に吊り下げ、二本のブチで打ち鳴らす。入れ鼓は、小太鼓を両肩から胸の前に掛けて両側から桴で打つ。女の着物に布を垂らした笠を被る。隊形は本踊りでは、鉦、太鼓、鬼面の三重の輪型になる。歌詞はない。
強張の名称と踊りについて、『指宿市誌』のこの項の執筆を担当した下野敏見は、国分(霧島市)で伝えられる「島津義久が強張と言ったから」との伝承を解釈し、次のように述べている。〔市誌1239頁〕
「太鼓踊りの中でもとりわけ強張な芸風だから民衆がそれを強張といったのだと解すべきだろう。中川のごちょう踊りの異様な服装と大振りな芸能は、指宿の芸風化した中にも、このような由来を今に示している」
なお、太鼓の桴は桐製すりこ木状の棒に紅白のビニールテープを回きつけている。実測したものは、長さ31cm。
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