上鴻巣の伊勢講 加世田市麓地区(武家屋敷)の現存伊勢講行事 | 伊勢講特集 < 2月伊勢講 < 加世田風物詩 < 南さつま半島文化

加世田市上鴻巣の伊勢講行事


鳥瞰図●加世田市上鴻巣

●調査地
鹿児島県薩摩半島加世田市 加世田校区 麓地区 上鴻巣集落(かせだ・かせだ・ふもと・かみぐるす)。麓地区は近世の武家屋敷群。

●調査日
1995.2.17

●伝承者
大正2年生まれ・男性,大正9年生まれ・女性(調査年のエショ)。その他祭礼参加者。

●拙著「年中行事風土化の研究」(『鹿児島民具第12号』1996,鹿児島民具学会)発表資料を補訂


●祭日・名称・御神体

写真●オイセコ 新暦2月17日(皇大神宮祭日にちなむと伝えられている)にオイセコドン(オイセサマ)の祭りをする。お神輿は屋根の幅・奥行き37センチメートル,高さ45センチメートル。ご神体は木製のご神体入れ(18.5×6センチメートル)に@皇大神宮の大麻とA豊受大神宮の大麻,B「昭和□年八月伊勢神宮参拝ノ節奉載シテ参斎ス,井上斎比古」の文字がある三つ折の白紙に皇大神宮の古い大麻。(井上家は竹田神社の神官)。それにC二つの石。一つは松山健太郎氏(大正2年生まれ)が皇大神宮参拝の折,境内の石を持ち帰ったもの。もう一つは云われ未詳。

●宿

 家(エショ)は戦後ぐらいまで各家庭の持ち回り。その順番は昔から決まっていた。現在は上鴻巣公民館で祭ってある。

●講員

写真●オイセコのご神体 集落の人。構成は上鴻巣だけでなく,井上神官(社付集落・しゃつき)や指宿家(中鴻巣集落の旧家),それに下鴻巣の人も入っていた。(以上いずれも加世田市麓地区)。上鴻巣が力があったのではないかといわれている。社付・中鴻巣・下鴻巣にもそれぞれ集落で祭るオイセコが別にあった。上鴻巣は多いときは45戸が加盟していて,「一生のうちに1回回ってくればよい」と言われ,台所から畳まで全部新しく直したりして,料理も弾んでいた。戦後軒数減って,一番少ないころは19軒だけの加盟になったが,オイセコに入っていない人にも参加してもらおうということで,公民館で祭るようにして,負担も軽くなったからか,現在は22世帯ぐらいになっている。それでも集落全戸ということにはなっていない。

●役

 役員は@エショとAマエワキ,Bアトワキの3戸。エショは現在は毎月1日と15日にハナコ(花香)を変える。マエワキ・アトワキはエショを手伝っていた。

●準備

 今は神官に来てもらってお祭りし,お酒を飲み,お店で作ってもらった仕出し弁当を食べる。

●掛け金

 各世帯から一人ずつ代表の大人が会費を出し合った。上鴻巣の御伊勢講文書を見ると,昔は金貸し業的なこともやっていたようである。現在は事前にオイセコの通知を回覧しておき,慶事(歳祝い・結婚など)のあった家はオイセコにお賽銭を収める。

●宿移り

 祠を移すときは男性が運び,行列を作って行った。酔っ払っていたため大変騒がしかった。昔はエショウツリにはお祓いをしながら4・5人が付いていき,新しいエショで直会をしたが現在は公民館で神官による神事の後,そのまま直会をする。

〔1995.2.17 平成7年上鴻巣伊勢講ドキュメント 場所:上鴻巣公民館〕
18:00 神事 井上神官が祠の灯明に献灯・祝詞・エショが玉串奉納・神官が灯明を消す。
18:10 エショ挨拶 本年から開始時間を午後5時30分から6時に遅くした旨の報告。阪神大震災に伴う料理自粛について説明。6年度の伊勢講決算報告,7年度は支払いがまだなので来年報告で了解。ハナコをとるときは灯明をあげないことで了解。水神の移転について報告。エショ交代挨拶。
18:30 直会

●宿祀り

 オイセサマの供え物などのお世話は今でもエショの人が1年交代でしている。エショは1年交代の順番制。

●道具

 講箱に「明治参拾五年旧暦正月改 御伊勢講規定」「財産目録並ニ毎年収支決算書綴」「貸付金利子取揃帳」「明治三十七年旧正月十一日 御伊勢講金貸付臺帳」「明治四十二年旧正月 御伊勢講貸付金利子取揃帳」「大正十一年二月十七日 御伊勢講貸附金利子取揃帳」「昭和六年二月起 講員慶事ニ付献金名簿」「証書綴」がある。
 このうち御伊勢講規定は,規定改正のほか,毎年の祭礼の式次第・収支等を記したもので,現在も大学ノートになって続いている。

●由来

 伊勢の皇大神宮の祭礼で,昔は伊勢神宮に講から一人参詣しに行っていたらしい。部落の親睦・団結が目的でもあった。

●その他

 小さいころはお土産がもらえるのを楽しみにしていた。

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