節 | 史料 | 注・固有名詞 | 頁 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
4 仏寺 |
||||||||||||||||||
4-1 |
西海金剛峯、如意珠山、龍巖寺、一乗院 |
|||||||||||||||||
付記8 |
○中殿持仏堂 本尊愛染明王、西には 鳥羽上皇の天牌、東には 後奈良法皇の天牌を安ず。又西に梅岳君、 大中公、 貫明公の霊牌を安す。 |
【中殿持仏堂】目次「中将」は誤記 |
26-26b |
|||||||||||||||
付記9 |
○護摩堂 本尊不動明王、是旧紀州根来寺東坂本尊と云。 |
【護摩堂】 |
||||||||||||||||
付記10 |
○五仏堂 当寺の庭にあり。本尊五仏。中央大日如来、〔日秀上人作。〕 |
【五仏堂】 |
||||||||||||||||
梅岳君御喜捨、東方阿閃仏〔日秀作。〕 大中公御喜捨、南方宝生仏、〔日秀作、島津尚久喜捨。〕 西方阿弥陀仏、〔日秀作、頴娃兼堅喜捨。〕 北方不空成就仏、〔日秀作、坊津人曽山道珍喜捨。〕を安す。初は堂にあらず。天文廿四年、第八世頼忠が時、 大中公所建の多宝塔にて、本尊は即ち今の五仏なり。元和八年、二月、境内枝刹十輪院失火、延て其塔は焼亡せり。明年十月十八日より、二十七日に至り、一百三十二人の僧侶を集て、瑜伽行法、五千坐、法華千部を読誦して供養せり。 |
○喜捨:寄進 |
26-27a |
||||||||||||||||
付記11 |
○熊野権現廟、 当寺本堂の北にあり。当寺の鎮守なり。 鳥羽天皇の御崇信に因て建つといふ。 |
【熊野権現廟】 |
||||||||||||||||
付記12 |
○春日神社 後山中の東一町許にあり。 |
【春日神社】 |
||||||||||||||||
付記13 |
○白山妙理権現祠 当寺後山中の西一町許にあり。此白山と、前条春日の二神社は、根来寺の別請に準して勧請せりとぞ。此外寺内神社仏堂猶多し。今略す。 |
【白山妙理権現祠】 |
||||||||||||||||
付記14 |
○関白天神祠 後山中十五間許にあり。菅神の木造を安す。是近衛前関白信輔、多宝院に於て手刻の故に、関白天神と号す。多宝院は、当寺の末にて、当寺境内の東にありしが、廃して今はなし。 |
【関白天神祠】 |
26-27b |
|||||||||||||||
付記15 |
○奥院大師堂 当寺境内の後山にあり。仁王門を去ること十六町、本尊弘法大師、〔木像。〕 此像弘法大師の手作也。当寺の旧記に云、大師高雄山に於て、千日木食して、密観を修する時、池水に映ずる自影を看て、手自に雕刻し、弟子真済に賜う者なり。故に少し常影に異なりと。当寺住持頼興法印、慶長中高雄山に詣て、法を法身院普海僧正に受し時、此像の附属を得たり。慶長十二年、 貫明公命して此堂を今の地に建て、奥院と号し此像を安置せしむ。更に命ありて、四十九の五輪塔を山中処々に建て、都率四十九院を表すといへり。延宝七年、当寺住持覚慧上人再興す。 |
【奥院大師堂】 |
||||||||||||||||
付記16 |
○ 仁王門の前にあり。 義天公是を立。 |
【榜文】立札。制札(せいさつ) |
26-28a |
|||||||||||||||
付記17 |
○閼伽井 寺庭にあり。清水桶出す。 |
【閼伽井】閼伽(仏前に供える水)の水を汲む井 |
||||||||||||||||
付記18 |
○大蘇鉄樹 当寺の庭にあり。梅岳君喜捨し玉へり。琉球国の貢物なりとぞ。今十七本あり。 |
【大蘇鉄樹】 |
||||||||||||||||
付記19 |
○坐論梅 当寺の庭にあり。応永年中、頼俊法印、仁和寺に於て、伝法の時、是を賜まへり。一秋勅会の灌頂を仁和寺にて行はれしに、嘉祥院住持と、頼俊と、左右の座論あり。命令ありて、頼俊を上座とす。時に賜へる梅の花台に、二花を生す。是座論の讖とす。因て此名を得たり。其樹囲三尺、繞らすにに石欄を以てす。 |
【坐論梅】座論梅。車輪梅ではない |
||||||||||||||||
付記20 |
○供奉石 当寺庁前にあり。 大中公 貫明公当寺に御習学の時、従臣の留止せし、房室の跡なりといふ。石敷六十、竪三間、横二間あり。 |
【供奉石】 |
||||||||||||||||
付記21 |
○六支院 当寺境内に、昔時は支院六あり。洪禅院、〔日羅上人、開基。〕 智徳院、十輪院、千手院、多宝院、宝幢院といふ。今皆廃す。 |
【六支院】 |
26-28b |
|||||||||||||||
○十二景 当寺小十二景あり。当寺住持覚恵上人、十二景の詩を、城州伏見黄檗宗仏国寺高泉禅師に請て作る。十二景の七絶あり。左の如し。 西海金剛峯十二景、並序。 日域輿地分二五畿七道六十六州一、薩州ハ蓋西海道也。其中多二形勝一。有レ寺曰二金剛峯一、乃高麗大沙門日羅公所レ剏、迄レ今千有余載、而勝跡尚存、天和三年、州守 松平大居士、以二寺虚一レ席、起二総州西光寺上人覚慧公一居レ之、公因謁二余於仏国一、請レ題二十二景一、余於二此寺一、未二嘗遊覧一、焉能借レ辞公請レ之不レ已、姑就二其題一而賦レ之、以博二高人名士之一■一云。 |
【十二景】 |
|||||||||||||||||
|
【日羅禅石】 |
26-29a |
||||||||||||||||
|
【端峰春日】 |
26-29b |
||||||||||||||||
貞享甲子元年、夏四月、既望、伝臨済正宗第三十四世、高泉徹頭陀書 |
【関白天神】 |
26-30a | ||||||||||||||||
|
【如意珠山一乗院】 |
26-30b |
【免責】このページは、私自身が三国名勝図会を読む際に読みやすいようメモしたものです。校正も不十分で、記述の誤りがあるかもしれません。したがって、研究で引用される場合は、改めて原書に当られた方が確実です。このページの利用にあたっては、何卒自己責任でお願いいたします。
次頁:大智院ほか→