*南さつま歴史街道 - 名勝図会

三国名勝図会
第26巻 薩摩国川辺郡 (2)

薩摩国川辺郡 坊泊

坊津港の現景


史料 注・固有名詞

4 仏寺

4-1

西海金剛峯、如意珠山、龍巖寺、一乗院

付記8

中殿持仏堂

本尊愛染明王、西には  鳥羽上皇の天牌、東には  後奈良法皇の天牌を安ず。又西に梅岳君、 大中公、 貫明公の霊牌を安す。

【中殿持仏堂】目次「中将」は誤記
【梅岳君】島津忠良(日新公)
【大中公】第16代島津貴久
【貫明公】第17代島津義久

26-26b

付記9

護摩堂

本尊不動明王、是旧紀州根来寺東坂本尊と云。

【護摩堂】
○根来寺:和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山。覚鑁が高野山に創建

付記10

五仏堂

当寺の庭にあり。本尊五仏。中央大日如来、〔日秀上人作。〕

【五仏堂】
○日秀上人:補陀洛を目指す途中坊津で風待ち
○大日如来:五智如来(金剛界五仏)の中央の如来。宇宙と一体と考えられる汎神論的な密教の教主

梅岳君御喜捨、東方阿閃仏〔日秀作。〕 大中公御喜捨、南方宝生仏、〔日秀作、島津尚久喜捨。〕 西方阿弥陀仏、〔日秀作、頴娃兼堅喜捨。〕 北方不空成就仏、〔日秀作、坊津人曽山道珍喜捨。〕を安す。初は堂にあらず。天文廿四年、第八世頼忠が時、 大中公所建の多宝塔にて、本尊は即ち今の五仏なり。元和八年、二月、境内枝刹十輪院失火、延て其塔は焼亡せり。明年十月十八日より、二十七日に至り、一百三十二人の僧侶を集て、瑜伽行法、五千坐、法華千部を読誦して供養せり。

○喜捨:寄進
○阿?仏:金剛界五仏の東方の如来
○宝生仏:金剛界五仏の南方の如来
○阿弥陀仏:金剛界五仏の西方の如来
○不空成就仏:金剛界五仏の北方の如来
○天文廿四年:1555年
【頼忠】【大中公】
○元和八年:1622年
○瑜伽(ゆが):密教の修行の一。ヨーガ

26-27a

付記11

熊野権現廟

当寺本堂の北にあり。当寺の鎮守なり。  鳥羽天皇の御崇信に因て建つといふ。

【熊野権現廟】
○鳥羽天皇:第74代天皇(在位1107〜1123)

付記12

春日神社

後山中の東一町許にあり。

【春日神社】

付記13

白山妙理権現祠

当寺後山中の西一町許にあり。此白山と、前条春日の二神社は、根来寺の別請に準して勧請せりとぞ。此外寺内神社仏堂猶多し。今略す。

【白山妙理権現祠】

付記14

関白天神祠

後山中十五間許にあり。菅神の木造を安す。是近衛前関白信輔、多宝院に於て手刻の故に、関白天神と号す。多宝院は、当寺の末にて、当寺境内の東にありしが、廃して今はなし。

【関白天神祠】
○菅神:菅原道真の神。天神
【近衛前関白信輔】近衛信尹(のぶただ、信基)安土桃山時代の公家。1594〜1596坊津に配流。(1565〜1614)
【多宝院】一乗院六支院の一つ

26-27b

付記15

奥院大師堂

当寺境内の後山にあり。仁王門を去ること十六町、本尊弘法大師、〔木像。〕 此像弘法大師の手作也。当寺の旧記に云、大師高雄山に於て、千日木食して、密観を修する時、池水に映ずる自影を看て、手自に雕刻し、弟子真済に賜う者なり。故に少し常影に異なりと。当寺住持頼興法印、慶長中高雄山に詣て、法を法身院普海僧正に受し時、此像の附属を得たり。慶長十二年、 貫明公命して此堂を今の地に建て、奥院と号し此像を安置せしむ。更に命ありて、四十九の五輪塔を山中処々に建て、都率四十九院を表すといへり。延宝七年、当寺住持覚慧上人再興す。

【奥院大師堂】
○高雄山:高雄山神護寺。京都市右京区
○木食:米穀を断ち、木の実を食べて修行すること
○雕刻(ちょうこく):彫刻
○真済:真言宗の僧。(800〜860)
【頼興法印】一乗院第12世
○慶長十二年:1607年
【貫明公】第17代島津義久
○都率(とそつ):兜率天。欲界六天の第4位。内外2院あり、内院には日本では四十九院があるという
○延宝七年:1679年
【覚慧】一乗院住持

付記16

榜文(セイサツ)

仁王門の前にあり。 義天公是を立。

【榜文】立札。制札(せいさつ)
【義天公】島津久豊。島津氏第9代当主(1375〜1425)

26-28a

付記17

閼伽井

寺庭にあり。清水桶出す。

【閼伽井】閼伽(仏前に供える水)の水を汲む井

付記18

大蘇鉄樹

当寺の庭にあり。梅岳君喜捨し玉へり。琉球国の貢物なりとぞ。今十七本あり。

【大蘇鉄樹】
【梅岳君】島津忠良(日新公)

付記19

坐論梅

当寺の庭にあり。応永年中、頼俊法印、仁和寺に於て、伝法の時、是を賜まへり。一秋勅会の灌頂を仁和寺にて行はれしに、嘉祥院住持と、頼俊と、左右の座論あり。命令ありて、頼俊を上座とす。時に賜へる梅の花台に、二花を生す。是座論の讖とす。因て此名を得たり。其樹囲三尺、繞らすにに石欄を以てす。

【坐論梅】座論梅。車輪梅ではない
○応永:1394〜1427年の元号
【頼俊法印】一乗院第4世
○仁和寺(にんなじ):京都にある真言宗御室派の総本山。一乗院は仁和寺の末寺
○伝法灌頂:密教の儀式の一つ
○讖(しるし)
○繞らす(めぐらす)

付記20

供奉石

当寺庁前にあり。 大中公 貫明公当寺に御習学の時、従臣の留止せし、房室の跡なりといふ。石敷六十、竪三間、横二間あり。

【供奉石】
【大中公】第16代島津貴久
【貫明公】第17代島津義久
○竪(たて):縦

付記21

六支院

当寺境内に、昔時は支院六あり。洪禅院、〔日羅上人、開基。〕 智徳院十輪院千手院多宝院宝幢院といふ。今皆廃す。

【六支院】
【洪禅院】【智徳院】【十輪院】【千手院】【多宝院】【宝幢院】

26-28b

付記22

十二景

当寺小十二景あり。当寺住持覚恵上人、十二景の詩を、城州伏見黄檗宗仏国寺高泉禅師に請て作る。十二景の七絶あり。左の如し。

 西海金剛峯十二景、並序。

日域輿地分五畿七道六十六州、薩州蓋西海道也。其中多形勝。有寺曰金剛峯、乃高麗大沙門日羅公所剏、迄今千有余載、而勝跡尚存、天和三年、州守 松平大居士、以寺虚一レ席、起総州西光寺上人覚慧之、公因謁余於仏国、請十二景、余於此寺、未嘗遊覧、焉能借辞公請之不已、姑就其題而賦之、以博高人名士之一■云。

【十二景】
【覚恵上人】覚慧?
○黄檗宗(おおばくしゅう):日本三禅宗の一つ
○輿地(よち):大地
○沙門:出家して仏門に入り道を修める人
○剏(はじめる)
○載:歳
○天和三年:1683年
■(?のへんが口)

  日羅禅石〔当寺境内、後山にあり。〕

林間唯置盤陀石、
公去年深石尚在、

日与羅公静結跏、
半封苔蘚半煙霞。

  加持瓶水〔護摩堂の後、北方にあり。〕

見説開山精秘典、
躊知法力難思義

曾将浄水密加持、
一滴能令四維

  太守学亭〔客殿の後にあり。 大中公、 貫明公習書の所なり。又清趣亭といふ。〕

邦伯万年徳化清、
今亭際煙雲跡、

日揮草聖斯亭
猶是竜蛇筆陣形。

  供奉石牀〔客殿の前、左の方にあり。縁故前に出つ〕

方々瓊瑶舗作席、
昔為供奉人清座

霜摩雨洗絶苔紋
今也何妨白雲

【日羅禅石】
○結跏:結跏趺坐(如来または禅定修行の坐相)
○苔蘚(たいせん):こけ
【加持瓶水】
○加持:仏が不可思議な力で衆生を加護すること
【太守学亭】=【清趣亭】
○揮:ふるう
○踞:うずくまる
○斯:この
【供奉石牀】前述
○牀:床
○瓊瑶:瓊も瑶も美しい玉
○妨ん(さまたげん)

26-29a

  端峰春日〔当寺の後山中の東にある、春日神祠なり。〕

廟貌崢■峰路斜、
神聴赫々長如在、

青紅棟宇鎖煙霞
瑞為詳祐国家。

  石窟白山〔当寺後山中の西に、白山神祠あり〕

玲瓏乳竇勝瓊丘
是神祇能護

誰立霊祠邃旦幽、
故存香火千秋

  三宝珠山〔客殿の南に三山あり。是なり。〕

鬱々佳山世所無、
幾回夜半日輪転、

千秋屹立対浮図
疑是神竜献宝珠

  岩間硯水〔仁王門の下、三十歩許にあり。〕

両畔寒巖如削壁
誰将一滴陶泓水

稜々痩骨立千秋
化作長川無尽流

【端峰春日】
■(山へんに榮)
【石窟白山】
○玲瓏:うるわしく照りかがやくさま
○竇:あなぐら
○瓊:美しい玉
○邃:深い
【三宝珠山】
○浮図(ふと):塔。そとば。転じて、仏寺・僧侶の意にも用いる
【岩間硯水】
○泓:深い

26-29b

  関白天神〔縁故前に見えたり。〕

力扶社稜平生志、
喜有欽風同志士、

酷愛梅花千里飛、
営廟宇神威

  閼伽泉湧。〔寺大門のうちにあり。〕

頼公徳業衆推尊、
偶爾着衣持密呪

道是羅師七代孫、
閼伽湧出水如盆。

  門外長渓懐渓といふ。大門の前の樋水をいふ。〕

碧梯藍発遠源、
喚作長渓水、

泓澄竟日繞山門
正是琅々演密言

  連芳梅花〔客殿の前にあり。即前に記せる座論の梅なり。〕

誰移異種此中栽、
両々連芳如仲伯

是羅浮?峯来
任地霜雪了摧。

  貞享甲子元年、夏四月、既望、伝臨済正宗第三十四世、高泉徹頭陀書

【関白天神】
【閼伽泉湧】
○閼伽:仏前に供える水
【門外長渓】【懐渓】
【連芳梅花】【座論梅】
○?峯(ゆれい)
○摧:くだく、くじく
○貞享甲子元年:1684年

26-30a

  登如意珠山一乗院   佐々助三郎〔水戸人。〕

千歳道場景況濃ナリ
開百済羅公力、
奇樹怪岩青蘇鎖
■芻七十精神健ナリ

四囲山水幾重々、
中天薩●宗、
崇堂傑閣白雲封
往事談来レハ暮鐘

【如意珠山一乗院】
●(土へんに垂)
■(草かんむりに必)
○芻:草を刈る(人)。転じて、身分のいやしい者。まぐさ

26-30b

【免責】このページは、私自身が三国名勝図会を読む際に読みやすいようメモしたものです。校正も不十分で、記述の誤りがあるかもしれません。したがって、研究で引用される場合は、改めて原書に当られた方が確実です。このページの利用にあたっては、何卒自己責任でお願いいたします。

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