節 | 史料 | 注・固有名詞 | 頁 |
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4 仏寺 |
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4-2 |
無量寿山西勝山大智院〔地頭館より丑寅方、十一町。〕 泊村にあり。当邑一乗院の末にして真言宗なり。本尊阿弥陀如来。開山百済国日羅といふ。〔当寺本尊阿弥陀は、日羅作と云。〕 |
【大智院】 |
26-30b |
4-3 |
東海山海印寺〔地頭館より子方、十八町余。〕 泊村にあり。伊集院広済寺の末にして、臨済宗なり。本尊釈迦如来。開山開叟。〔貞治元年、壬寅、六月十七日、遷化。〕 大岳公の御位牌を安置して、大旦那とす。 大岳公泊浦に在て薨じ給ふ〔公の薨ぜしは、下条、其行館跡に見はす。〕 故なりといふ。当邑の菩提所なり。 |
【海印寺】 |
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4-4 |
清月山広大寺〔地頭館より西方、二町余り。〕 坊津村にあり。伊集院広済寺の末にして、臨済宗なり。本尊観音大士。開基年月詳ならず。中興開山瑞峯和尚。〔明暦元年、遷化。〕 齢岳公上京し給ひ、帰国の時、御船坊津に着き、広大寺に宿せられ、香火田を寄付し玉ふといへり。当寺後は山に依り、前は坊港を一望に収め、景色佳勝なり。 |
【広大寺】 |
26-31a |
4-5 |
海室山清水院法光寺〔地頭館より子方、十九町。〕 泊村海辺にあり。相州藤沢山の末にして、時衆宗なり。本尊阿弥陀仏、〔長二尺七寸五分。〕 観音勢至、〔長一尺六分。〕 此三像共に春日作にて、皇国中、三絶の弥陀像なりといへり。一は京都三条誓願寺本尊、二は日州福島昌福寺本尊、三は当寺本尊という。)本尊奇世の霊仏にて、祈れば必ず感応あり。故に参詣の徒甚多し。当寺の住持富士山へ参詣すれば、大祈願を成満すべき霊夢を蒙り、度々富士山へ登攀せしことありとぞ。当寺往古は浄土宗にして、 |
【法光寺】海室山は海宝山の誤記 |
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運誉上人住持たりしことありといふ。〔運誉上人は、筑前国法然寺に主たり。其後天文十三年、肥後国にて始て 松齢公に謁す。十五年、日州飯野に来る。既して、帖佐願成寺、本府不断光院、加治木本誓寺等に住す。其履歴、本誓寺の条に詳なり。然れども当寺住職の事は見えず。何れの時なるにや〕 初め宝光寺といひしを、遊行三十五世法爾上人、宝字を法字に改む。 |
【運誉上人】 |
26-31b |
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