節 | 史料 | 注・固有名詞 | 頁 |
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2 神社 |
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2-1 |
九玉大明神社〔地頭宅地より辰巳一町余。〕 久志村、久志港に臨める、一岡阜の上にあり。祭神猿田彦命、勧請の年月詳ならず。古棟札数札を蔵む。其古記は、九玉大明神御社一宇、当領主藤原国久、当所地頭藤原秀家、寛正五年、甲申、九月八日と記す。〔国久は、島津薩摩守国久なり。〕 又永正十五年、戊寅、九月、大旦那島津薩摩守忠興、当旦那島津駿河守忠綱と記し、又永禄七年、甲子、十二月大旦那島津藤原朝臣日新、当旦那島津藤原朝臣忠長と記せるあり。当社は、梅 |
【九玉大明神社】 |
27-6b |
岳君、九玉七社を建立し給へる一なりといふ。〔梅岳君建立の九玉社、当邑秋目村にも一社あり。下条の如し。〕 当社棟札、寛正は梅岳君以前の年号なれは、君建立とは、再興なるべし。祭祀九月十五日、久志村の惣鎮守なり。社司吉見某。 |
【梅岳君】島津忠良。日新公。貴久の父。戦国武将・島津氏中興の祖。(1493〜1568) |
27-7a | |
2-2 |
今峯十二所権現社〔地頭宅地より亥方、一里半余。〕 久志村の一三条にあり。此山平地に突兀として起り、峻絶なる一孤巒なり。其状加治木邑の蔵王岳に似たり。祭神及び勧請の年月詳ならず。神体石十二を安す。山上時に神灯を現することありて、霊怪著然たる故に、土人崇敬せり。琉球諸島に往来する者、当港に泊繋すれば、必ず参詣すといふ。祭祀九月十九日。社司吉見某。 |
【今峯十二所権現社】今岳 |
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2-3 |
九玉大明神社〔地頭宅地より子方、三里余。〕 秋目村にあり。祭神前の九玉社に同し。勧請の年月詳ならず。元亀二年の棟札に、当地頭島津朝臣尚久と記す。又慶長廿年の棟札もあり。祭祀九月九日、秋 |
【九玉大明神社】 |
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目村の惣鎮守なり。鰐口に、寛正五年の銘あり。当社は、梅岳君九玉社を七ケ所に建立し給へる一なりといふ。鰐口の年号に拠れば、梅岳君の創建にはあらざる事、前の九玉社に述ると同し。社司生駒某。〔坊泊邑にも九玉社ありて、梅岳君所レ建七社の内とす。彼巻に出す。〕 |
○寛正五年:1464年 |
27-7b |
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2-4 |
神社合記 九玉大明神社。久志村田崎にあり。大永六年、丙戌、九月、大旦那島津三郎次郎殿藤原忠悟、〔当代官、久志蔵人助家親、当旦那浜田太郎右衛門宗次とあり。〕 の棟札存す。 △愛宕社 久志村にあり。 △愛宕社 秋目村にあり。以上両村愛宕社は、二月廿四日、土俗に愛宕講と号し、会集して、飯羹を供す。 △貴布根大明神 秋目村にあり。岡阜の上に松村を神体とす。 |
【九玉大明神社】【久志村】【田崎】 |
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