*南さつま歴史街道 - 名勝図会

三国名勝図会
第27巻 薩摩国川辺郡 (3)

薩摩国川辺郡 久志 秋目

久志港の現景


史料 注・固有名詞

2 神社

2-1

九玉大明神社〔地頭宅地より辰巳一町余。〕

久志村久志港に臨める、一岡阜の上にあり。祭神猿田彦命、勧請の年月詳ならず。古棟札数札を蔵む。其古記は、九玉大明神御社一宇、当領主藤原国久、当所地頭藤原秀家、寛正五年、甲申、九月八日と記す。〔国久は、島津薩摩守国久なり。〕 又永正十五年、戊寅、九月、大旦那島津薩摩守忠興、当旦那島津駿河守忠綱と記し、又永禄七年、甲子、十二月大旦那島津藤原朝臣日新、当旦那島津藤原朝臣忠長と記せるあり。当社は、梅

【九玉大明神社】
【久志村】
【久志港】
○阜(おか)
【藤原国久】島津国久。島津氏第2代当主。(1441〜1499)
【藤原秀家】地頭
○寛正五年:1464年
○永正十五年:1518年
【島津忠興】【島津忠綱】
○永禄七年:1564年

27-6b

岳君、九玉七社を建立し給へる一なりといふ。〔梅岳君建立の九玉社、当邑秋目村にも一社あり。下条の如し。〕 当社棟札、寛正は梅岳君以前の年号なれは、君建立とは、再興なるべし。祭祀九月十五日、久志村の惣鎮守なり。社司吉見某

【梅岳君】島津忠良。日新公。貴久の父。戦国武将・島津氏中興の祖。(1493〜1568)
【秋目村】
【吉見某】久志九玉神社社司

27-7a

2-2

今峯十二所権現社〔地頭宅地より亥方、一里半余。〕

久志村の一三条にあり。此山平地に突兀として起り、峻絶なる一孤巒なり。其状加治木邑の蔵王岳に似たり。祭神及び勧請の年月詳ならず。神体石十二を安す。山上時に神灯を現することありて、霊怪著然たる故に、土人崇敬せり。琉球諸島に往来する者、当港に泊繋すれば、必ず参詣すといふ。祭祀九月十九日。社司吉見某

【今峯十二所権現社】今岳
【久志村】
○突兀(とっこつ):山・岩などのけわしくそびえるさま
○巒:みね
【吉見某】

2-3

九玉大明神社〔地頭宅地より子方、三里余。〕

秋目村にあり。祭神前の九玉社に同し。勧請の年月詳ならず。元亀二年の棟札に、当地頭島津朝臣尚久と記す。又慶長廿年の棟札もあり。祭祀九月九日、秋

【九玉大明神社】
【秋目村】
○元亀二年:1571年
【島津尚久】
○慶長廿年:1615年

目村の惣鎮守なり。鰐口に、寛正五年の銘あり。当社は、梅岳君九玉社を七ケ所に建立し給へる一なりといふ。鰐口の年号に拠れば、梅岳君の創建にはあらざる事、前の九玉社に述ると同し。社司生駒某。〔坊泊邑にも九玉社ありて、梅岳君所建七社の内とす。彼巻に出す。〕

○寛正五年:1464年
【梅岳君】島津忠良。日新公
【生駒某】秋目九玉社社司
坊泊邑

27-7b

2-4

神社合記

九玉大明神社久志村田崎にあり。大永六年、丙戌、九月、大旦那島津三郎次郎殿藤原忠悟、〔当代官、久志蔵人助家親、当旦那浜田太郎右衛門宗次とあり。〕 の棟札存す。 △愛宕社 久志村にあり。 △愛宕社 秋目村にあり。以上両村愛宕社は、二月廿四日、土俗に愛宕講と号し、会集して、飯羹を供す。 △貴布根大明神 秋目村にあり。岡阜の上に松村を神体とす。

【九玉大明神社】【久志村】【田崎】
○大永六年:1526年
【島津忠悟】
【久志家親】【浜田宗次】
【愛宕社】久志【愛宕社】秋目
【愛宕講】
○羹(あつもの):菜・肉などを入れて作った熱い吸物
【貴布根大明神】

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