節 | 史料 | 注・固有名詞 | 頁 |
---|---|---|---|
1 山水 |
|||
1-1 |
野間岳〔地頭館より酉戌方、五里余。〕 片浦村赤生木村に跨る。東西を赤生木村とし、北を片浦村とす。当邑の西に笠砂御碕といえる地觜、長く海中に尖り出つ。此岳其御碕に屹立して、孤高なり。北の一面陸地に接して、其余の三方は、大海に臨む。故に岳形南北に長し。西海道の極尽にして、実に本藩の名山なり。山麓より絶頂まで、登路一里余、岳の八分までは、漸々高くして、形状頗る寛緩なり。茅草の類生え茂りて樹なし。八分以上は、怪岩巨石多し。岳形頓に急峻にして、人肩の上に頭首あるに似たり。林木鬱然として、翠色雲に浮ぶ。故に峰頂に登るには、岩石を攀りて僅に至るべし。絶頂斗絶といへども、少く平地ありて、広さ三段許、四面豁然として、乾坤を双眸に収む。岳形孤高の故に、魂悸き目眩して、千仭の海底に墜んとするが如し。西方は |
【野間岳】標高591.1m |
27-10b |
唯滄溟なれば、雲波天に接するのみ。快晴の日に遭へば、遠くはu救、硫黄、黒嶼、甑島の諸島、波際に浮び、近くは鵜路、草蠣、或は鷹島等の洲嶼、処々に点して、弾丸黒子の如し。夕日滄波に沈むの時、紅霞の中、紺青なる山の形、動揺する如し。日光R燿して、眼を留めがたし。土人云是唐土の山なりと。果して然るや否やを知らず。真に景物の雄観、爰に過たるはあらずといへり。又此岳を遠く海中より望めば、岳下の北麓接壌の処、海水還抱し、島嶼の如く見へて、其状一奇なりとぞ。かゝる巍然たる孤岳なれば、毎歳漢土の商舶、長崎に来る時は、洋中にて必ず此岳を認て、針路を取り、皇国の地に到り。その始て認め見し時は、酒を酌て賀をなすといふ。凡高山は多く火起りて焚ることありといへども、此岳古来火起れることなし。或は曰、此岳往古は、笠砂岳といひしを、山上に娘媽神女を祀りしよ |
○滄溟(そうめい):あおうなばら |
27-11a |
|
図「野間岳〔自片浦港所見〕」 |
【野間岳】 |
27-11b |
|
27-12a |
|||
図「野間岳〔自小湊村小松原所見〕」 |
【野間岳】 |
27-12b |
|
27-13a |
|||
図「野間岳〔自岳巽久志鶴喰ア所望〕」 |
【野間岳】 |
27-13b |
|
27-14a |
|||
り、野間岳と号す。娘媽と野間と音相近きが故なりといへり。山上の林木に躑躅樹多し。径り一尺許の者あり。花時雲に映す。山上に娘媽神社あり。下條神社の章に詳なり。 |
○躑躅(つつじ) |
27-14b |
|
付記1 |
○雌岳 野間岳の西南半腹にあり。雌岳とは野間岳を雄岳として、対し名づくるなり。其半腹に少し起れる支山なりとぞ。 |
【雌岳】女岳 |
|
付記2 |
○小岳山 赤生木村にあり。野間岳東南の麓に係りて、東南海に臨む。此峰小なりといへども、其形甚野間岳に似て、少しも異ならず。故に小岳山の名を得たり。 |
【小岳山】小岳 |
|
付記3 |
○野間池 野間岳の西麓、笠砂御碕にあり。片浦村に属せり。周廻凡そ十三町。池口甚た狭くして、海に接す。故に湖水常に瀦り、池南は陸地僅かに相連なる。此池漁舟の泊処となる。又池中頗ぶる諸魚を産す。 |
【野間池】 |
【免責】このページは、私自身が三国名勝図会を読む際に読みやすいようメモしたものです。校正も不十分で、記述の誤りがあるかもしれません。したがって、研究で引用される場合は、改めて原書に当られた方が確実です。このページの利用にあたっては、何卒自己責任でお願いいたします。
次頁:万之瀬川→