甑島調査日誌(上甑) はじめに / 平良 / 小島 / 瀬上 / 桑之浦・中甑・まとめ |鹿児島の民俗 < 南さつま半島文化|
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●村落伝承から
○小島の起源
桑之浦の「住吉」というところから移住してきたと言われている。いつごろ移ってきたかは分からないが,今は荒地の住吉には土器も出て,昔から人がいたことが分かっている。小島の言葉は桑之浦の言葉に似ている。隣の瀬上よりも似ている。
○出作
昔は1軒に1艘は船を持っていて,それで無人島にある畑に通っていた。中が浦というところ。
○地引網
丘の木の上に見張りを置く。魚(カマス)が来ると旗を振り,その合図で,2艘の6丁艪の船がカマスを囲み,網を丘に持っていく。集落上げての地引網で,家族ぐるみで参加する。網にカカッタだけ(さわっただけ)でもらえた。それを「シャー」という。カマスのほかにタイなども入った。
●交流伝承から
○和船
前からサンノマ・ズーノマ・ツツノマ・トモノマという。
○船こぎ競争
昔は,沖縄や長崎にあるのと同じような船こぎ競争を6集落でやっていた。
○ツウマイコウ
住吉神社のお祭りでにツウマイコウという役目があり,祭りの準備をする。「つもり講」ではないかと言われている。1ヶ月前から,各家から米をもらってまわり,準備をすすめる。今は,前日から10人の男女で幟ばたの椎木を立てて準備し,家の掃除をする。
当日会食の片づけが終わり,午後3時からツウマイコウの後祝いをする。鶏をつぶしてご馳走を食べる。
今は12万円の経費が1回の祭りでかかる。ツウマイコウは100世帯の当番制。入院したり病気の人は飛ばすので7,8年に一回はまわってくる。昔はオヤという頭がいた。金が足りないと,個人で手出しもある。
●交通・物流伝承から
○イサバ・鮮魚船
イサバという船は知らない。帆をつけた運搬船というのもしらない。運搬船は牛深から買い付け船(鮮魚船)が来ていたのを覚えている。戦前は朝鮮の船が寄港して,イワシと野菜を交換したりしていたこともあった。
○薬売り
富山から「イレツケグスリ」を大きなかごを背負って持って来ていた。「富山は冬は寒いので,こうして回っている」といっていた。民家に1週間くらい泊まって,小島・瀬上の家々を回っていた。父やY.Kさんのところなどに泊まっていた。後には民宿になった。それから今は役場のある中甑の旅館に泊まって車で回っている。今は鹿児島に住んでいるという。
○物売り
県内から竹竿売り,こうもり傘の修繕,下駄の修繕,鍋の鋳掛などが来る。
○物貰い(六部)
「ドクビドン」という。傘をかぶった修行僧姿で来て,門口でお米を入れてもらう。
○浪曲師
戦前,個人の家で,人を集めて浪曲をしていた。分限者が呼んでいたのではないか。1ヶ月に1回だったか,頻繁に来ていた。手品もしていた。本当の浪曲師ではないかもしれない。
○映画
戦前,神社の境内で映画をしていたこともある。お金を取ってやっていた。
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