金峰町の棒踊り - 田布施・大田・阿多・棒踊りの構造・棒踊りの成立・まとめ|鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME|
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金峰町には、
分類 | [A] 6人がらみ棒踊り (六尺棒のみ) |
[B] 4人がらみ鎌踊り (鎌・ナギナタ) |
[C] 6人がらみ薙刀踊り (鎌・ナギナタ) |
[D] 6人組刀踊り (長刀と錫杖・ホコ・笹) |
[E] 4人がらみシベ錫杖踊り「金山踊り」 (長刀・シベ錫杖) |
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大野上馬場 | ○ | ○ | ○ | ||
大野下馬場 | ○ | ○ | |||
池辺 | ○ | ○ | |||
塩屋堀 | ○ | ||||
尾下上組 | ○ | △ (現在は中断) |
○ | ||
尾下下組 | ○ | ○ | △ (現在は中断) |
||
高橋 | ○ | ○ (錫杖なし) |
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中津野 | ○ | ○ | ○ | ○ | |
松田 | ○ | ||||
花瀬 | ○ |
田布施地区では、
名称は、郷土史に「お田植え踊り(おたおどい)」とわざわざ読みを記載していることからも〔郷土史下巻362頁〕、かつてはオタオドリと呼ばれていたと思われるが、筆者が調査した範囲ではその名称はすでに聞かれなかった。現在は先頭につくシベ竿(マトイ)の杉板や、保存会の法被にも「お田植え踊り」と書いてあり、読みはそのとおり「オタウエオドリ」。
期日はかつて5月6日であったが、のちに5月5日のこどもの日になり、現在は踊り子も見学者も集まりやすい大型連休初日の毎年4月29日に奉納されている。
場所は尾下南方神社と紹介されることもあるが、同じ境内にある金峰神社遥拝所へまず奉納し、その後南方神社の前で踊る。祭典や踊りの順番を決めるくじ引きも金峰神社遥拝所で行われ、シベ竿や三才踊りの杉板にも「奉踊金峰山神社御宝前」とあることから、やはり金峰神社(金峰山神社)遥拝所へ奉納するというのが踊りが本来の目的であろう。
境内の配置は、北側に立つ2つの鳥居(上諏訪・下諏訪の鳥居)から南に向かって100メートルほどの参道があり、その奥が境内となる。境内東側(参道から入ると左側)に金峰神社遥拝所、境内南側(参道の正面)に南方神社が建つ。
当日は午前10時から祭典、踊り順のくじ引きが、金峰神社遥拝所で行われる。各集落の踊り子は参道に順に並び、1つの集落が金峰神社遥拝所前で踊り終わると、右隣にある南方神社へ向き直り、引き続き踊る。そのあいだに次の集落が入場し、前の集落が隣で踊るそばで、金峰神社遥拝所へ奉納を始める。つまり、2踊りが同時に踊られていて、境内は大変賑やかだ。「神社での踊りだけは、他の集落の踊りに負けないように励むものだった」という。入場のことをニワイリ(庭入り)と呼ぶ。
観客は、集落ごとにござを敷き(今はビニールシート)、お弁当を広げて、田植え上がりの民俗芸能の競演を楽しむ。神社での奉納が終わると、今は全集落が道の駅「きんぽう
名称はニセ踊り・サンゼ踊り・カンナ踊り・ナギナタ踊りなど様々に呼ばれているが、以下では採り物と一組の最低必要踊り子数に注目して整理し、報告する。(分類は第3節の表2参照)
マトイ 各集落踊り子隊の先頭には、「マトイ」と呼ばれるシベ竿が付く。カラダケ(マダケ)に松の皮の削り掛けを付け、削り掛けの下部は食紅で赤く着色してある。その上には「奉踊金峰山神社御宝前」を墨書した杉板を付ける。保存会役員数人で持ち、踊りの前の「棒突き」で、踊り子の六尺棒などと一緒に、地面を力強く突く。7集落すべてで伝承されており、毎年作り直す。高さは6メートルを超える。
6人がらみ棒踊り 塩屋堀で伝承されている、青年層(現在は小中学生)の踊り。3列縦隊、6人1組で踊る。
採り物は全員同じで、右手に六尺棒を持つ。左手の採り物はない。服装は、白衣に短パン、手には朱色柄の手甲、足は
4人がらみ鎌踊り 尾下上組・尾下下組・高橋・池辺・大野
2列縦隊4人1組の踊りで、右手に、正面から向かって右列が鎌、左列がナギナタを持つ(左手は全員採り物なし)。まず初めに棒突きと呼ばれる切りあいのない地面を力強く突く仕種があり、その後2人1組の掛け合い、4人がらみの切りあいが見られる。
実測した採り物は、ナギナタが尾下下組で長さ133センチ、高橋で117センチ、鎌は高橋で45センチ。
服装は集落ごとに踊り子全員が同じもので、絣の着物に白短パン、朱色柄の手甲、黒脚絆、白タビ、ワラジ、白鉢巻。朱色柄を基調とした色鮮やかな襷を掛け、背中に垂らす。高橋と塩屋堀は紺絣の代わりに白地の絣になっているが、その他は共通。
6人がらみ
採り物は、左右列は右手にナギナタ、中央列は右手に鎌をもつ。全員左手には採り物を持たない。
服装は、紺カスリに白短パン、手には朱色柄の手甲、足には黒脚絆・白足袋・ワラジ、頭には白鉢巻を付け、朱色柄の襷を掛けている。つまり、尾下下組では、青年の踊る二才踊り(鎌踊り)と同じ装いで、壮年の三才踊りが踊られる。
6人組刀踊り 現在は塩屋堀と尾下下組を除く5踊りが見られる。尾下下組にもあったが、踊り子不足で現在は見られない。名称は「サンゼ踊り(三才踊り)」又は「カンナ踊り(刀踊り)」と呼ばれ、壮年層が踊る。次のシベ
3列縦隊の踊りだが、棒突きのあと、打ちあう場面はなく、踊り子全員が同じ動きをする。そのため、もともとは12人など、6人1組の踊りであったが、現在は踊り子不足で原則9人組となっている。
採り物には3種類のバリエーションがある。
〔図1〕 尾下上組三才踊りの採物
尾下上組では、右手に全員長刀(カンナと呼ぶ)、左手に左右列は錫杖(ジャリンと呼ぶ)・中央列は笹竹(コサンダケに鈴とリボンをつけたもの)を持つ。最前列右側と最後列左側は錫杖の代わりに、表に「奉踊金峰山神社宝前」裏に「鹿児島県南さつま市金峰町尾下上組青年団」の杉板をつけた「ホコ」(「カンバン」ともいう)を持つ。長さは笹竹が260センチ、ホコが235センチ、ジャリンが260センチ、刀が158センチ。
高橋では、右手に全員長刀、左手に笹竹を持ち、錫杖はない。最前列左側と最後列右側は笹竹の代わりに、表に「奉納金峰神社平成○○年四月二十九日」裏に「金峰町高橋踊子壱万参千有余人」の杉板をつけたホコを持つ。刀は杉板で作った山刀風の模造刀で長さ150センチ。
池辺・大野上馬場・下馬場は、右手に全員長刀、左手に左右列は錫杖・中央列は笹竹を持つ。最前列左側と最後列右側は錫杖の代わりに、ホコを持つ。
服装は、紺カスリ、白襦袢、黒足袋にワラジにシベ笠を被り、朱色柄を基調とした襷を掛けている。尾下上組の襷はピンク。
4人がらみシベ錫杖踊り(金山踊り) 大野上馬場で伝承されており「金山踊り」と呼ばれる。二才踊りの踊り子が、鎌踊りに引き続き踊る。2列縦隊で、4人1組で踊る。
採り物は、全員右手にジャリンと呼ぶシベ付きの小型錫杖、左手に長刀を持つ。踊り子は鎌踊りと同じで、服装もそのまま踊る。
歌詞 6人がらみ棒踊り・4人がらみ鎌踊り・6人がらみ薙刀踊り・6人組刀踊りでは、各地の棒踊りでよく聞かれる、次のような歌詞がうたわれる。
○「おせろが山で、前はダイカワ(後ろが山で、前は大川)」
○「今こそ通る、神にモノメイ(今こそ通る、神に物詣り)」
○「清めの雨は、パラリパラリと降り通る」
○「ひともと苗は、よねの八石(一本苗は、米の八石)」
○「ヤマタロガネは、川の背に棲む(山太郎蟹は、川の瀬に棲む)」
このうち、棒突きで最も多く聞かれたのは「今こそ通る…」。また、「おせろが山…」は、すべての集落の踊りで聞かれる。
大野上馬場保存会の歌詞資料では、そのほかに次のものがある。
○「鎌ん柄が折れた 三把遅れた」
○「霧島松は 黄金花咲く」
○「
○「焼け野の雉は 岡の瀬に住む」
○「抱き合て寝ろは 月が冴え込む」
○「
同じ上馬場の金山踊りの歌詞は、次のとおり。(同歌詞資料)
さんさ触れ触れ
「あら じっかいよー」 (茅家はしっかりせよ)
音はァーアせねど
「おもなーァこらな」 (霰が積むと こら重いな)
つみィーイ隠ーす (物事をうまくだますには)
「いよォーオさんさョー」 (いやー この寒さよ)
猫ィなー鰹節
磯芸者にゃーァア
「あら じっかいよ」 (しっかりがんばれよ)
お奉行ォーオ様ーに
「いやーなーァこらなー」 (いやだな こら)
樽 お魚
「いよォーオさんさよー」 (いやー恐ろしくて寒気がする)
こんどー大阪に 新しきことよ
南御城下の 北手の馬場よ
一人友なし 薬屋の娘
年は十六で その名はおカメ
よそにやりても まくりーぃだして(転がり出て)来るが
どこへ行くかと 付け目をすれば
(囃子)
◎うんにゃ
又も 出したよ 又 出した
◎うんにゃー 十七、八や
二度こんせべさかす
うールチョン うールチョン チョン チョン
チョンからチョンのチョン