松田誠
於直は、加治木島津家第9代領主久長の女で、弘化2(1845)年5月28日、城下屋敷にて誕生し、第10代領主久宝の姉君です。斉彬の遺命を継いだ久光は、文久2(1862)年7月、於直を自分の義子となし(養女扱い)、9月斉彬の養女に擬し(貞姫と改名)、文久3年12月18日、19歳で近衛忠房に輿入れしました。婚姻準備は、小松帯刀・大久保一蔵等が担当し、老女には、税所(さいしょ)敦子(あつこ)(後、天皇・皇后詠歌の祐筆を勤める)を当て、また、仕え人兼中央と薩摩藩との連絡役には、加治木出身の尊王志士葛城彦一と相良藤次が命じられました。
明治6年(1873)忠房が死去し、名を光蘭院(こうらんいん)と改称し、東京千代田区近衛別邸で、貞節50余年、才徳を隠して温雅であり、朝には赤塗りの筆を執り、夕べには和歌を詠み、花を生け、茶をたて、すなおに晩年を楽しまれる中、大正9年1月19日 76歳で死去。京都の大徳寺近衛家墓所に葬られました。貞姫の娘の泰子(ひろこ)は最後の徳川将軍15代慶喜の後継者徳川家達(いえさと))の妻となり、長男篤麿は貴族院議長など要職につき、内閣総理大臣近衛文麿は、孫に当たる人です。篤姫とは姉妹関係にあり、幼少の家達、泰子を養育しました。
加治木の能仁寺墓地には明治五年、父・母(鹿駕領主喜入久道女)の墓前に献灯碑を建立しています。
貞姫の縁組は斉彬、久光にとっては何らかの意図があったはず。朝廷工作の為の布石であったか、それは永遠のなぞでしょうか。
2008年9月例会 - 2008.9.6鹿児島市中央公民館