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例会研究発表要旨

2009年度鹿児島民具学会例会

■種子島の法華寺坊の規模と仏具

高重義好

 種子島の仏教は明治2年の廃仏まで3期に分けられる。1期は多●国時代の仏教で大宝2年に多●国が創建され律令政権が持ち込んだ国家仏教の時代である。2期は律宗時代で伝来の経緯は明らかでないが、15世紀半まで唯識仏教を伝え続けた異色の時代である。3期は京都、本能寺の法華宗本門流が南下、種子島に法華王国を現出し廃仏まで他宗を全く寄せつけなかった。

●印:衣へんに「熱」の上部。(多●国…たね国)

 種子島の法華寺数は文献上も実態調査でもその実数はつかみ難い。藩政時代の寺院数が西村天囚の『南島偉功伝』に207寺とある。筆者は昭和30年後半に南種子の古老から「昔は南種子に寺が300あった」と聞いた。南種子が300なら中種子、北種子と合わせると900位はあったことになる。先出の天囚の207寺は、文化13年の薩藩提出文書の数で信頼できるが、規模などの詳細は薩藩資料(要用集)でも不明で、300~900寺は島内隅々まである小祠や聖地、祟地なども含むもので、将に海にこぼれ落ちんばかりの祭場で、法華僧の関与する御祈祷の総体が見えるようである。

 文明元年に初めて法華宗の本源寺が府元に建立された。その規模が『懐中島記』にある。

寺領百五十石 高棟厚板葺釈迦堂七間四面 右同祖師堂五間四面 右同社檀四間三間 小板葺拝殿三間四面 平棟板葺位牌所四間方 右同客殿四間三尺六間 板葺膳配所四間三間 右同庫裏六間方 小板葺山門惣門。

 府元(現西之表)には他に律宗時代の古刹慈遠寺(百石)、同じ大会寺(五十石)があり、周辺に塔頭がひしめいていて法華王国の威容を誇った。

2010年3月例会 - 2010.3.6 鹿児島市中央公民館

高重義好「種子島の法華寺坊の規模と仏具」

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