是枝智美
2024年3月、東串良で土人形を調査する機会を得た。昭和26年生の方所蔵の7体(うち6体が佐賀県の弓野人形、一体は産地不明(県外の土人形))と、昭和46年生の方の誕生祝に贈られた17体(全て弓野人形)である。
昭和26年生の方は雛祭りの際「築山」を作っていたとのことである。『東串良郷土誌』(東串良郷土誌編纂委員会編 1980)には「床の間に杉の葉を割り竹で挟んで垣のようにして、飾りにした壇(ヒナ壇)を何段も作り(之を山という)ヒナ人形を飾る。」との記載があり、一致する話が伺えた。
また、昭和46年生の方の土人形には一体だけ戦前の弓野人形が含まれているが、これは昭和13年生の女性が三月節句祝にいただいていたものを、その人形を下さった方の娘さんに贈ったものとのことである。長生きされた方が所蔵していた土人形を次の方に贈る風習があると聞いたことがあったが、今回それを証明しうる土人形を発見できた。
鹿児島の土人形は「帖佐人形」が有名だが、鹿児島県内に現存する土人形の多くは東串良の事例と同じく佐賀県の弓野人形である。鹿児島県内では「帖佐人形」「垂水人形」「東郷人形」「宮之城人形」「向花人形」「日木山人形」「苗代川人形」が知られているが、ほとんどが戦前までに廃絶しており、その分県内全域に弓野人形が流通している。弓野人形は既に明治時代には流通していたようで、『武雄市史中巻』(武雄市史編纂委員会編 1973)には、明治42年(1909)には人形組合が結成され、鹿児島の買主西橋某との間に「定訳詔書」が取り交わされていたことが記されている。
2025年3月例会 - 2025.3.9 鹿児島県歴史・美術センター黎明館