*南さつま歴史街道 - 名勝図会

三国名勝図会
第26巻 薩摩国川辺郡 (2)

薩摩国川辺郡 坊泊

坊津港の現景


史料 注・固有名詞

1 山水

1-1

坊津港

付記1

坊津諸勝地
鶴ケ崎 △下之浜 △深浦 △西尾、並鵜形ケ崎 △坊津浦 △寺ケ崎 △下り観音 △亀ケ浦 △寸々礼石觜 △網代浦 △双剣石 △鵜嶼 △栗子嶼 △高立神 △坊御崎、秋月洞 △田代 以上の諸勝地、皆前文に出づ。

【鶴ケ崎】【下之浜】【深浦】【西尾、並鵜形ケ崎】【坊津浦】【寺ケ崎】【下り観音】【亀ケ浦】【寸々礼石觜】【網代浦】【双剣石】【鵜嶼】【栗子嶼】
【高立神】前出では高石神
【坊御崎】【秋月洞】【田代】

26-7a

付記1

中島
前文に見えたり。宝永戊子の秋八月、邏馬国人を、屋久島恋治村に得たり。屋久島の宰、肝属三右衛門兼近、是を執らへて本府に状啓す。既にして邏馬人を屋久島より坊津に

○宝永戊子:宝永5年(1708)
○邏馬:羅馬(ローマ)。このローマ人はシドッチのこと。
○屋久島恋治村:屋久島町恋泊集落
○執らへて(とらえて)
○本府:鹿児島城

護送し、中島に虎落を結び、是を囚ふ。後長崎鎮台に護送し、又江戸に至り、終に牢死す。屋久島の巻に詳かなり。此者の事跡は、白石が采覧異言、又芳洲たはれ草、春台が紫芝園漫筆等に記せり。

○虎落:柵
○囚ふ(とらえる)
○白石:新井白石(1657〜1725)
○采覧異言(さいらんいげん):1713
○芳洲:雨森芳洲(1668〜1755)。儒学者
○春台:太宰春台(1680〜1747)。儒学者
○紫芝園漫筆(シシエンマンピツ)

26-7b

付記3

津倉礁、南礁
津倉礁一に埋礁といふ。坊津の西南二十里にあり。南礁一に縄礁といふ。三十五里にあり。共に小嶼にして、坊津に属す。

【津倉礁=埋礁】津倉瀬
【南礁=縄礁】

付記4

西遊記、坊
橘氏西遊雑記云、坊津は辺鄙なる故に、世に普く知られざる所にて、景勝双ぶ所希也。丹州橋立、芸州厳島などと競べ見るに、天の橋立よりも、海面の模様、眺望広大にして、島の風景いはん方なく、如何なる画師たりとも、写得がたき所にて、拙き筆には、十は十にして、其一も似たる様に写し難く、秋の月と称する岩穴、達て雅所にして、こなたの岸

○橘氏:橘南谿(1753〜1805)。医者・文人。
○西遊雑記:ここでは橘南谿『西遊記』(1795〜1798)のこと。(『西遊雑記』は古川古松軒の別の紀行文)
○辺鄙(へんぴ)
○普く(あまねく)
○双ぶ(ならぶ)
○競べ(くらべ)
○拙き(つたなき)
【秋の月】

より見るに真丸く、傍にならべる岩、一つとして同しからず。何れ成共、一石おしき事と思う様なる雅なる石なり。双剣石と称ずるは、数丈の岩、高さ詳ならず。遠見五丈許にもあらんとおぼしき石に見得たり。海面に竹を立し如く、鵜瀬山は、巖石にて雑樹生し、前後左右苔むせし岩、かぎりなくならび立。遠見せる所、鵜瀬山間黒に見ゆるなり。此故に号せしにや、奇石の山といふべし。弁天島、番所ある所は、自然の岩石連り並び、東西より差向ふやうにありと云々。

【双剣石】
【鵜瀬山】
【奇石の山】鵜瀬山の別称
【弁天島】

26-8a

付記5

詩歌

 七月十二日夜宿〈二〉坊津〈一〉偶成
            佐々助三郎〔水戸人〕
今宵坊嶼景、遠客動吟情、潮韻浸墻響、月光透戸清、澄心懐往昔、屈指数帰程、不窓灯滅、村鶏報五更

○佐々助三郎:佐々宗淳(十竹・介三郎。1640〜1698)。『大日本史』編纂のため1685九州などを史料探訪。水戸黄門「助さん」のモデル。
○墻:牆(かきね)垣根
○吟情:詩歌を吟ずる心持
「今宵、坊嶼の景、遠客、吟情を動かす。潮の韻、墻を浸し響き、月光、戸を透かし清く、澄心、往昔を懐かしむ。指折り帰程を数う。窓灯滅するを覚えず。村鶏、五更を報ずる。」

 坊津即興     丸山雲平〔水戸人〕
回峯岸極奇幽、霊勝古来申薩州、面海背山民戸古、故尋耆老琉球

 坊津旧跡記    読人しらす
誰も見よ唐の湊は秋津洲の
国に異なる岩根松が根

 松葉集
頼めども海士の子だにも見えぬ哉
いかがはすべき唐の湊に

○丸山雲平:丸山可澄(活堂。1657〜1731)。佐々十竹と九州史料探訪。
○耆老(きろう):老人
「峯岸を回ること、奇幽を極め、霊まさに古来薩州と申す。海に面し、山を背し、民の戸古く、故に耆老に尋ね、琉球を問う。」
○秋津洲:大和国、また本州
○松葉集:内海宗恵選『松葉名所和歌集』(1660)
○海士(あま)

26-8b

付記6

坊津八景
近衛藤公信輔、当津に謫せられ玉ひし時、八景の題を撰びて、各和歌を詠じ玉ふ。

 中島晴嵐

【坊津八景】
【近衛藤公信輔】近衛信尹(のぶただ、信基)安土桃山時代の公家。後陽成天皇の勅勘により1594〜1596坊津に配流。後に許されて関白。
○謫せられ玉ひし:罰せられ給ひし

松原や麓につゞく中島の
 嵐に晴るゝ峯のしら雲

 深浦夜雨
舟とめて蓬もる露は深浦の
 音もなぎさの夜の雨かな

 松山晩鐘
今日もはや暮に傾く松山の
 鐘の響きに急く里人

 亀浦帰帆
亀が浦や釣せんさきに白波の
 うき起と見て帰る舟人

 鶴崎暮雪
鶴が崎や松の梢も白妙に
 ときはの色も雪の夕暮

【中島】
○蓬もる:「篷(とま)もる」の誤記か。
【深浦】
【松山】
【亀浦】【亀が浦】
【鶴崎】【鶴が崎】

26-9a

 網代夕照
磯ぎはの暗きあじろの海面も
 夕日の跡に照らす篝火

 御崎秋月
荒磯のいはまくぐりし秋の月
 かげを御崎の浪に浸して

 田代落雁
行末は南の海の遠方や
 田代に下る雁一行

【網代】
○篝火(かがりび)
【御崎】坊の岬【秋月】秋月洞
【田代】

26-13b

図「中島晴嵐」

【中島】

26-9b

図「深浦夜雨」

【深浦】

26-10a

図「松山晩鐘」

【松山】

26-10b

図「亀浦帰帆」

【亀浦】

26-11a

図「鶴崎暮雪」

【鶴崎】

26-11b

図「網代夕照」

【網代】

26-12a

図「御崎秋月」

【御崎】

26-12b

図「田代落雁」

【田代】

26-13a

【免責】このページは、私自身が三国名勝図会を読む際に読みやすいようメモしたものです。校正も不十分で、記述の誤りがあるかもしれません。したがって、研究で引用される場合は、改めて原書に当られた方が確実です。このページの利用にあたっては、何卒自己責任でお願いいたします。

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