節 | 史料 | 注・固有名詞 | 頁 |
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1 山水 |
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1-1 |
坊津港 |
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付記1 |
○坊津諸勝地、 |
【鶴ケ崎】【下之浜】【深浦】【西尾、並鵜形ケ崎】【坊津浦】【寺ケ崎】【下り観音】【亀ケ浦】【寸々礼石觜】【網代浦】【双剣石】【鵜嶼】【栗子嶼】 |
26-7a |
付記1 |
○中島 |
○宝永戊子:宝永5年(1708) |
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護送し、中島に虎落を結び、是を囚ふ。後長崎鎮台に護送し、又江戸に至り、終に牢死す。屋久島の巻に詳かなり。此者の事跡は、白石が采覧異言、又芳洲たはれ草、春台が紫芝園漫筆等に記せり。 |
○虎落:柵 |
26-7b |
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付記3 |
○津倉礁、南礁 |
【津倉礁=埋礁】津倉瀬 |
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付記4 |
○西遊記、坊ノ津ノ説 |
○橘氏:橘南谿(1753〜1805)。医者・文人。 |
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より見るに真丸く、傍にならべる岩、一つとして同しからず。何れ成共、一石おしき事と思う様なる雅なる石なり。双剣石と称ずるは、数丈の岩、高さ詳ならず。遠見五丈許にもあらんとおぼしき石に見得たり。海面に竹を立し如く、鵜瀬山は、巖石にて雑樹生し、前後左右苔むせし岩、かぎりなくならび立。遠見せる所、鵜瀬山間黒に見ゆるなり。此故に号せしにや、奇石の山といふべし。弁天島、番所ある所は、自然の岩石連り並び、東西より差向ふやうにありと云々。 |
【双剣石】 |
26-8a |
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付記5 |
○詩歌、 七月十二日夜宿〈二〉坊津〈一〉偶成 |
○佐々助三郎:佐々宗淳(十竹・介三郎。1640〜1698)。『大日本史』編纂のため1685九州などを史料探訪。水戸黄門「助さん」のモデル。 |
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坊津即興 丸山雲平〔水戸人〕 坊津旧跡記 読人しらす 松葉集 |
○丸山雲平:丸山可澄(活堂。1657〜1731)。佐々十竹と九州史料探訪。 |
26-8b |
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○坊津八景 中島晴嵐 |
【坊津八景】 |
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松原や麓につゞく中島の 深浦夜雨 松山晩鐘 亀浦帰帆 鶴崎暮雪 |
【中島】 |
26-9a |
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網代夕照 御崎秋月 田代落雁 |
【網代】 |
26-13b |
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図「中島晴嵐」 |
【中島】 |
26-9b |
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図「深浦夜雨」 |
【深浦】 |
26-10a |
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図「松山晩鐘」 |
【松山】 |
26-10b |
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図「亀浦帰帆」 |
【亀浦】 |
26-11a |
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図「鶴崎暮雪」 |
【鶴崎】 |
26-11b |
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図「網代夕照」 |
【網代】 |
26-12a |
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図「御崎秋月」 |
【御崎】 |
26-12b |
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図「田代落雁」 |
【田代】 |
26-13a |
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