*南さつま歴史街道 - 名勝図会

三国名勝図会
第26巻 薩摩国川辺郡 (2)

薩摩国川辺郡 坊泊

坊津港の現景


史料 注・固有名詞

4 仏寺

4-1

西海金剛峯、如意珠山、龍巖寺、一乗院

付記1

諸扁額

仁王門には、如意珠山、〔梅岳君、 大中公、御寄進。〕 本門には、龍巖寺、客殿には、  勅願場、〔東寺観音院賢賀僧正筆。〕 中殿には、  太上皇殿〔前文に見ゆ。〕 の額を掲く。西海金剛峯の  勅願は、〔由緒前文に見ゆ。〕 蔵て宝庫にあり。〔東寺観音院賢賀僧正筆。〕

【梅岳君】
【大中公】
○太上皇(太上天皇):上皇のこと

26-21b

付記2

弘法大師法印大和尚位宣旨

当寺に蔵む。弘法大師、金剛峯寺に入定の後、三十余年を経て、  清和天皇其懿徳を追仰し、貞観六年、寵章して法印大和尚位を、大師の定廟に贈らる  宣旨なり。根来寺の覚峯の  勅号を賜へるも、此  宣旨。当寺に伝はれるを聞玉へる故なりしとぞ。西陲の当寺に伝はる。実に希世の奇縁にして、当寺什宝中の珍品なり。其宣旨左の如し。

伝灯大法師位空海
 右贈可法印大和尚位
勅智慧峯高、菩提月朗、持三密之法印、為四輩之儀刑、人亡道盛、世旧名新、惟景慕之甚深、念追崇而何止、肆贈寵章、式賁幽魂、可依前伴主者施行。
 貞観六年三月二十七日

○法印大和尚:最高の僧位
○蔵む(おさむ)
○清和天皇:第56代天皇。(在位858〜876)
○懿徳(いとく):大きい立派な徳
○貞観六年:864年
○西陲(せいすい):西の国境

26-22a

  中務卿三品兼行上野大守時康親王
  従四位上行中務大輔輔世、
  従五位下守中務少輔橘朝臣主雄

勅如右、牒到奉行、
 貞観六年三月廿八日
 品行治部卿賀陽親王
 従五位上守治部大輔包
 参議正四位下行左大弁兼勘解由長官年名
告贈可法印大和尚位空海、奉
勅如右、符到奉行、


 治部少輔従五位下忠宗

     大録氏立
     小録福守
     小録宗氏

 貞観六年三月二十九日下

  26-22b

付記3

鳥羽上皇勅願院宣

被院宣■、依大伝法院座主申請、以西海之龍巖寺、為根来寺別院、可令奉安穏泰平、二世
御願成満之由、祈念之旨、宣遣仰者、
院宣如此、悉之、謹状。
 長承二年十一月三日       右兵衛督源判
 大伝法院上人座主御房

○鳥羽上皇:第74代鳥羽天皇(在位1107〜1123)。1129から上皇(1142法皇)として院政を行う。1156年亡
○院宣:院(上皇・法皇)の宣旨
■(稱の偏が人偏):あげる・いう
○長承二年:1133年

26-23a

付記4

後奈良法皇勅願綸旨

当院事為勅願之浄場、宜奉祈
皇家之再興由、
天気所候也、仍執達如件。
 天文十五年三月四日       左中弁国光判
 一乗院法印御房

○綸旨(りんじ):蔵人が勅命を受けて書いた文書
○仍(よって)
○執達:上意を受けて下に通達すること
○天文十五年:1546年

付記5

仁和寺院家摩尼珠院兼帯の下文

 仁和寺総法務二品親王庁下
            薩州坊津如意珠山龍巖寺
  応山務一乗院永代令上レ帯本寺之院家
右法印快義■、謹★案内、当山者、密教弘通之阿蘭若、安鎮国家之祈願所也。代々祖師仰太王之高跡、承広沢之御流矣、望請殊蒙、恩恤、成賜厳重之御下文、永永兼、住本寺之院跡、孜々受学正嫡之聖教云云者、依請賜摩尼珠院畢、来際猶以抽勇猛懇丹之精誠、念太守之武運長久、修除災与楽之秘法、祈国郡之豊饒安全、仍所仰如件。門徒之僧等、宜承知勿違失、故
 寛文五年九月二日     公文采女正藤原花押

○兼帯:兼任
○下文(くだしぶみ):上位者からその管轄下の役所や人民などに下した公文書
【快義】一乗院第17世
■(稱の偏が人偏):あげる・いう
★(檢の偏が手偏)
○阿蘭若(あらんにゃ):人里から離れた修行するのに適した閑静な土地。そこに作られた庵
○矣(句末に用いる助字。読まない)
○孜孜(しし):つとめ励むさま
○仍(よって)
○勿(なかれ)
○遺失(いしつ):あやまち
○寛文五年:1665年
○花押:署名の下に書く判

26-23b

別当前大僧正花押
 大僧正花押
 権大僧都花押
 権大僧都花押
 権小僧都花押
 法眼花押
 三月三日

     従儀師花押
     従儀師花押
     院司威儀師花押
 
 
 
     花押

       一乗御房

○大僧正:僧綱の一つ。僧正の上位
○大僧都:僧綱の一つ。僧都の上位

26-24a

付記6

後奈良帝御歌

天文中  帝頼忠法印に宸筆の短冊廿枚、二幅を賜ひしに、其一幅は、 寛陽公へ上る。其十首、宸筆の一幅、現存す。
 深山には鹿ぞ鳴なるすそのなる
  もとあらの萩の花やさくらん

○後奈良帝:第105代天皇(在位1526〜1557)
【頼忠法印】一乗院第8世
○宸筆(しんぴつ):天子の直筆
【寛陽公】島津光久。島津氏第20代当主・薩摩藩第2代藩主。(1616〜1695)

 うつろはぬ色を見すとて菊の花
  露もこゝろをおけるなりけり
 吹かはる嵐ぞしるき常磐やま
  つれなき色は冬ま見えぬと
 空さゆるかつらの里の河上に
  ちぎりありてや月もすむらん
 みさごいる磯の松がねまくらにて
  塩かぜさむみあかしつるかな
 はらひかねうきねにたえぬ水鳥の
  羽かひの山も霜やおくらん
 下折の音のみ杉のしるしにて
  雪のそこなる三輪の山本
 あじきなくなと下もえと成にけん
  ふじの烟もそらにこそたて

 

26-24b

 白玉の緒だえの橋の名もつらし
  くだけておつる袖の涙に
 色かへぬみぎはの松の影そへて
  千世にや千世にすめる池水

 

26-25a

付記7

什宝合記

当寺に、仏像、仏器、文書、図画等の名品、甚多く、宝物目録二冊さり。其浩繁を知るべし。今其少分を此に記すのみ。 △仏牙舎利 寛平法皇仁和寺に蔵め玉ひしに、応永中、先住頼俊上人、仁和寺に於て、伝法の時、附属を受て、当寺に伝ふ。此外舎利許多あり。 △弘法大師手刻諸仏像 地蔵、弁才天、観音■像、五輪■塔、 △五智金剛鈴 弘法大師唐土より請来せる宝器中の一なり。伝法灌頂の時、唯是を用ゆることを得るとぞ。 △五鈷金剛杖  嵯峨天皇御不豫の時、弘

○什宝:宝物として秘蔵する器物
○仏牙舎利:釈尊の歯
○寛平法皇:宇多天皇
○応永:1394年〜1427年の元号
【頼俊法印】一乗院第4世
○許多(きょた):あまた
■(捏のへんが土へん)こねる
○伝法灌頂:密教の儀式の一つ
○五鈷金剛杖:金剛杵の両端が5叉に分かれたもの。密教の法具の一つ
○嵯峨天皇:第52代(在位809〜823)
○不豫(ふよ):天皇・上皇の病気

法大師の加持に因て、病平癒し玉ふ。此五鈷杖は、其時用ひられしとて、寺僧奇重し、伝法灌頂の時のみ用ゆるとぞ。 △水精念珠 弘法大師唐土を辞せる時、唐順宗皇帝餞賜の者といへり。念珠唐製にて、水精の品最上なり。其球稍大にして、食指頭の大さの如し。母玉に金飾あり。此念珠伝法灌頂の時のみ、唯是を用ゆるとぞ。 △弘法大師自画像一幅。弘仁中、  嵯峨天皇御不豫なりし時、弘法大師召に応して加持す。  帝乍平癒す。叡感の余、師に詔して其加持の形像を写さしむ。且  帝御筆にて、一首の和歌を其上に書せ玉ふ。法性の無漏とはいへど我すめば、有為の波風よせぬ日ぞなき。〔此歌は、弘法大師土佐室戸崎にて詠すといふ。〕 此故に自画像といへり。 △当麻曼荼羅 大和州当麻寺、中将姫の曼荼羅を模写せる本にて、銘に天平宝字の七字、金尼書を存すとなり。〔是根来寺の覚因齎し来ると云う。〕 △唐筆大

○加持:仏が不可思議な力で衆生を加護すること
○水精:水晶
○念珠(ねんじゅ):数珠
○順宗皇帝:唐13代(761〜806)
○餞賜:はなむけに賜る
○稍(やや)
○食指:人差し指
○弘仁:810年〜824年の元号
○乍(たちまち)
○叡感:天子が感嘆なさること
○余(あまり)
○法性:一切存在の真実の本性
○無漏:迷いを離れていること
○当麻曼荼羅(たいままんだら):当麻寺に伝わる浄土曼荼羅で、観無量寿経に基づいた阿弥陀浄土変相図

26-25b

元明王画像一幅 山城州法琳寺常暁律師、唐土より請来して、醍醐理性院にあり。天正中、故ありて 邦君松齢公に付属せり。 公当寺に喜捨す〔大元明王は、怒敵降伏を掌る法なり。皇国の僧大元の秘法を伝ふは、常暁を始めとすといふ。〕 △弘法大師手写諸仏図像 西界曼荼羅二福、八祖師画影八幅、一宇金輪王一幅、五大尊明王一幅、不動一幅、五大虚空蔵一幅、愛染明王一幅、如意輪観音一幅、其外数品あり。 △覚鑁手写仏画像、孔雀明王一幅、星曼荼羅一幅、弁才天一幅、其外数品あり。 △弘法大師手書一紙一部法華経 △光明皇后御書、秘密教王経、並華厳十回向一巻。 △弘法大師手書心経 心経の末に、経紙の小片三あり。二所に跋あり。 △古帖一本。  光明皇后御書一片、弘法大師書三片、伝法大師書一片、菅相公書二片、智証大師書一片。 △近衛前関白藤

○大元明王:仏教(特に密教)における尊格である明王の一つ。大元帥明王
○常暁:平安時代前期の僧。入唐八家の一人。(生年不詳〜867)
【松齢公】島津義弘。島津氏第17代当主。(1535〜1619)
○覚鑁(かくばん):平安後期、真言宗新義派の開祖。(1095〜1143)
○光明皇后:聖武天皇の皇后。(701〜760)
○跋(ばつ):あとがき
【近衛藤公信輔】近衛信尹(のぶただ、信基)安土桃山時代の公家。1594〜1596坊津に配流。(1565〜1614)

26-26a

公信輔手翰、並連歌一軸 △同人手書、般若心経、並唯識三十頌 即同人寄付。 △上人号免許下文 △寛性法親王手書 △邦君諸御寄進品 齢岳公 円室公 蘭窓公梅岳君 大中公 貫明公 松齢公 慈眼公 寛陽公等より、 今公に至り、累代の 邦君、仏画、仏像、仏経の御寄進品より、田地を与へ祈禳を命せられし文書の属、枚挙すべからず。寺僧宝庫に蔵めて珍品とせり。 △総州島津家文書 若干あり。昔時当地は、総州家所領たればなり。

【齢岳公】第6代島津氏久
【円室公】第12代島津忠昌
【蘭窓公】第13代島津忠治
【梅岳君】島津忠良(日新公)
【大中公】第16代島津貴久
【貫明公】第17代島津義久
【松齢公】第18代島津義弘
【慈眼公】第19代島津家久
【寛陽公】第20代島津光久
○総州島津家:島津氏の分家。初代島津師久。川内碇山城を居城とした

26-26b

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