碁石茶の作り方・使い方 1はじめに・2製法・3民具・4写真・5茶粥・販売 |碁石茶トップ - 鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME|
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実はこの碁石茶は,作っているこの地域では飲まれません。「渋いので碁石茶は飲まない。自家用は釜煎り茶などを飲む」。ではどこで消費されるかというと,江戸時代からすべて瀬戸内へ出荷していたのです。その経路としては,@仲買人が香川県の琴平・多度津,そして坂出などのお茶屋へ出す。もう一つは,A仲買人兼生産者が瀬戸内の島々へ直接売って歩くという話を聞きました。そしてかつては本土の「塩」と物々交換をしていたということです。
島の方では,直接仲買人兼生産者から買うのですが,値段は島で見本を見て,毎年お茶の値踏みをしていたということです。志々島という塩飽諸島の島では多度津や詫間など,本土のお茶屋から買ってもいたということです。この島では「かたまり茶」という名前で今も生活必需品として販売されています。昨年仕入れた碁石茶と新茶との5対5のブレンドで売られています。新茶はかおり,旧茶は色が良いのでブレンドしているのだそうです。
では,志々島で実際に作っていただいた碁石茶の茶粥についてお話します。材料は米1合・水1〜1.5升・豆・芋など季節の野菜・固まり茶(5cm角ガーゼ製茶袋,自家製)です。まず羽がまに水を入れ,固まり茶を入れた茶袋を煮出します。茶が出たら,材料を入れ15分ほど煮ると出来上がり。煮すぎは良くないとのことでした。
実に簡単な作り方なのですが,この島では,
「茶粥を1年中食べる。夏は扇風機で冷やす。冷蔵庫に入れておくのも良い。食べやすいので朝茶粥をたべ,昼はご飯を取ったりする。昼に炊いた茶粥を夕食に掛けてねこまんまにして食べる。」といいます。
ただしお粥ですから,「すぐにおなかがすくので,1日に2食は食べない。」とも言われます。
この茶粥が瀬戸内の島々に伝わっている理由は,簡単に作れてさっと食べられるので,船乗りさんに喜ばれたからです。船の上ではオカから持っていった水で碁石茶を煮出し,米だけを入れて具のない茶粥を作って食べるそうです。
「塩水は使わないが,釜を洗うときにつく。その塩が良い。」とも言われます。島の人々は,碁石茶の茶粥が今も伝承されている理由を「潮水に合うから」と説明してくれたのですが,よく調べてみると船乗りさんは潮水は使いませんし,水道が本土から引かれてからの新しい解釈ではないかと私は思います。
さて,その碁石茶ですが,島々のほうではやはり徐々に消費の方も少なくなっています。健康食品業界からも注目さてれいるのですが,最近は染物や,あられ・ようかんに使われたり,さまざまな工夫がされているようです。
以上,碁石茶の製法と使用法についてみてきました。時代とともに碁石茶製造の使用民具も変わってきました。伝承者の小笠原さんは「碁石茶は大量生産には向かず,個人で作るには省力化が必要だ」といいます。
「今年は天秤・台車を使った。来年は重油バーナーにして火をたく。漬け込みはプラスチック桶を試したが,裁断で傷が尽き,使い物にならない。」と工夫を続けています。
碁石茶を作る農家は,昭和40年代までは相当の数
昭和50年代 5戸
昭和60年代 1戸
と,現在は小笠原さんただ一人になってしまいました。ただ,そのころから照葉樹林文化論の展開・健康食ブームにつれて,民俗学・農学・経済学研究者が訪れるようになったそうです。毎年80人くらいの見学者とのこと。この村に車道が着いたのは昭和50年代だそうです。それまでは俵を背負っての出荷。むらの変容は碁石茶を必要としない社会へ変えてしまったのでしょうか。
一方碁石茶を使う村も,「以前は茶が2,3回煮出せて経済的な茶だったが,いろいろなものがある時代で,最近は年寄りしか飲まない。」という変化が生まれてきています。
私は,これからも碁石茶と作る村・使う村がどのように変容していくのか,見守っていきたいと思います。
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