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3 十五夜綱曳きずりの実態

(1) 加世田小松原

小松原の十五夜綱曳きずり 南さつま市加世田(かせだ)万世(ばんせい)地区では、「十五夜お月さん早よ出やれ、子供が喜び綱を曳く」と歌いながら、網を曳きずって集落を回る「綱曳きずり」習俗が見られる(写真10)。

 ここでは綱引合戦を行わず、綱曳きずり自体を「ツナヒキ」と呼ぶ。小松原の事例から見ていこう(2002年調査時点の報告)。

材料集め 旧暦八月十五日にはジュウゴヤツナヒキをする。昔は、小松原の各区で綱引があった。現在は小松原4集落と当房(とうぼう)の計5集落合同の行事。

 今は稲藁だけで作る。芯には、以前加世田本町の大綱引に使っていたロープを買ってきて、それを使っている。かつては、子供たちが山へ行って、芯に使うカズラを取ってきたが、「山は危ない、刃物を使うのは危険」ということで、芯には加世田本町大綱引きのロープを使い、最近は藁だけで作るようになった。この藁も以前は南さつま市加世田内山田(うちやまだ)などの稲の多いところへ買いにいったりもしたが、今は万世のこのあたりの農家のものだけを使っている。

綱作り「ツナネリ」 綱をなうことをツナネリという。調査をした平成14年(2002)は4、5日前にツナネリをした。本来は子供が中心になってするのだが、今は親が手伝う部分が多いという。寄木八幡(よりきはちまん)神社の楠木に綱を掛けてねっていく。3本の綱を1本の大綱にしていく。3本それぞれに芯として、藁縄が入っている。それと芯に本町のロープが入っている。大綱はサキヅナ・ドンヅナ・ヒキテから出来ている。

小松原の十五夜綱 サキヅナは芯になっている本町のロープがそのままむき出しになっている部分で、長さ9m。ドンヅナはツナネリで綯いあわせた部分で長さ11m。ヒキテは、ドンツナの左右につけた引き綱で長さ2m。左右16本ずつ、計32本が付いている。網の大きさやヒキテの数は時代とともに変わってきた。昔は40mくらいあった。(写真11)

 綱は境内の倉庫にしまっておく。また昔から、数日前から相撲の景品を買うための寄付を子供たちだけで貰って回った。今は大人があらかじめチラシを配って知らせておいて、それから子供たちが回っている。

綱引 綱引は、幟旗を持った十四頭(子供組の頭)が先導する。現在の旗は7本。120cm×30cmのもの3枚 - いずれも日の丸の下に年号と「八月十五夜下村組」。年号は大正8年(1919)、昭和2年(1927)、昭和6年(1931)。83cm×93cmのもの2枚 - 大きな日章旗で、うち1枚には「昭和三十二年八月十五夜 大崎潟組」とある。またもう1組90cm×60cmのものは、鷹の絵のものと虎の絵のもの。昔は集落で絵のうまい人が描いてくれたものがまだいくつもあったという。

 小松原地区の綱曳ずりのコースは、小松原寄木八幡神社→相星(あいほし)入り口→小松原団地前→国道226号万世小学校入り口→寄木八幡神社。

 集落の中を綱を曳きずって歩くことを「ツナヒキ」という。

 午後5時に集合。神社の拝殿に供えられた十五夜の飾りを前に二礼二拍一礼。その後ツナヒキへ出発。先頭に十五夜の幟旗を持った子供、その後を綱が続く。昔はカナボウ13歳、ハタ12歳、その他のものが綱を引く役だったという。

 小松原寄木八幡神社から、国道へ出て西に向かい、橋を渡って相星入り口まで行き、引き返してくる。また国道へ戻って今度は東に向かい、小松原団地入り口から国道の南側の地区を回っていく。万世小学校入り口で国道をまたぎ、今度は国道北側の集落を回る。そして八幡神社へ戻ってくる。

相星の十五夜綱曳きずり 昔は、カナボウ(又はダンギ)という棒を持つものがおり、それを地面に掘った穴に入れ、支点にして綱をカーブさせた。今は道路が広くなったので、直角に曲がらなくてもよくなったのと、舗装されて棒を差すことも出来ないので、カナボウは使わず回る。途中相星のツナヒキ組と鉢合わせになったりする(写真12)。昔は、こうした出会い頭、カナボウをさす穴を奪い合ったり、ばれないように隠しておいたり、喧嘩になることもあったという。

 道中の歌は、万世の他の地区と同じで「十五夜お月さん早よ出やれ、子供が喜び綱を引く、エーッサッサ、エーサッサ」。

相撲 午後6時に神社へ着くと、旗を立てかけていったん休憩。綱は境内の楠木の下にとぐろ状にして置いておく。この綱は、あくる日に崩し、必要な人が切って持って帰り、畑の敷草にする。持ち帰るとき、ヒキテを巻きつけて持って帰る。

 普通の綱引合戦はやらない。相撲は午後7時から2時間ほど続く。


*動画解説:十五夜綱曳きずり

*記録動画:十五夜綱引きずり(小松原・相星) - YouTube

(2)加世田唐仁原

唐仁原のダンギ 加世田万世の唐仁原(とうじんばら)では、カーブを曲がる際の杭「ダンギ」を現在(2017年調査)も用いている(写真13)。

材料集め 夏休みが終わると、子供たちが藁を各家からもらって回る。

綱作り「ツナネリ」 昔は十五夜前の日曜日にジュウシガシタ(十四頭)が中心になり、青年が手伝って綱をネッテ(絢って)いた。今は公民館の役員や消防団員でネッテいる。網は前からサキヅナ、ツナ、ドンヅナという部分に分かれており、平成4年(1992)のサキヅナは長さ105cm・直径4.5cm、ツナは長さ450cm直径25cm、ドンヅナは長さ105cmであった。平成29年(2017)に実測すると、サキヅナ480cm、ツナ420cm・直径20cm、ドンヅナは長さ80cm直径45cm。ツナには子供が引っ張るためのコシヅナ(引き綱。長さ2m)がついている。

唐仁原の十五夜綱曳きずり(1992年)綱引 当日は、午後5時に公民館前に集合して幟りを先導に、集落内を曳きずって回る(写真14)。幟りの絵は、「十五夜」の文字や虎・鶴の絵を手書きで、毎年ジュウシガシタが作る。途中曲がり角では、子供がダンギという棒を地面に差し、ツナはそれに引っ掛けてうまく回っていく。2017年に実測したダンギは、長さ138cm・直径10cm。先端がとがっている。このダンギは今はスギを使っているが、昔は節のないカタギを使っていた。そして2日ぐらい前に、曲がり角ごと深さ30cmmくらいの穴を掘って藁を詰めておき、当日ツナが通るときにその藁を取ってダンギを突っ込んだという。

 曳きずる途中は次の歌をうたう。

「十五夜お月さん早よ出やれ、
子供が喜び綱を引く、エーッサッサ、エーサッサ」

 昔は他の集落の綱とかち合って先頭争いなどもした。

相撲 公民館に帰ると、綱の引き合いはせずに、すぐに綱で土俵を作って、中にシラスを入れ、相撲を取る。終わると綱は希望者がもって帰って肥料にする。


*記録動画:唐仁原十五夜綱引きのダンギ - YouTube

*動画解説:十五夜綱曳きずり(唐仁原)

(3) 加世田大崎

 同じく加世田万世の大崎では、一時期子供が少なくなったとき、芯にしている既成のロープを切ってしまった。

大崎十五夜綱のドンヅナ綱作り「ツナネリ」 大崎の綱の長さは、平成18年(2006)に拝見した時は30mほどあったが、平成28年(2016)に再調査すると、長さは7mほどになっていた。運動会用のロープを芯にして藁を練って作ってあるが、「子供が少なくなったので芯のロープを切った」という。その後住宅が増え、子供も増えたが、長さを戻すことはできないという。このロープを神社の木にかけて、古老の指導のもと、親子会で綱を練る。綱はサキヅナとドンヅナからなり、ドンヅナにはたくさんの引き綱が付いている。ドンヅナのしっぽの部分は、農作業用のズダ袋を被せてある(写真15)。

綱引 大崎八阪神社の境内から、幟旗を先頭に集落内を曳きずって回り、神社にもどってくる(写真16)。

 幟旗の竿は、笹の付いた竹(高さ3m)。旗は、虎の絵に「十五夜」の文字が入ったもの1枚、お月見をする子供たちの絵が入ったもの(文字はなし)2枚。3枚いずれも比較的新しいもので、高さ90cm幅60cm(写真17)。

大崎の十五夜綱曳きずり道中の十五夜綱引きの歌は他の集落と同じで、

「十五夜お月さん早出やれ、
子供が喜び綱を引く、エーッサッサ、エーサッサ」。

 平成28年(2016)は22人の子供たちが参加した。

相撲 神社に戻ると、綱引合戦は行わず、この日のために境内に作られた土俵で十五夜相撲を取る。

大崎の十五夜幟り旗


*記録動画:十五夜綱引きの歌 - YouTube

*動画解説:十五夜綱曳きずり(大崎)

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