南薩の綱引文化 - 綱引き・綱練り(櫓掛け式・道伸べ式・庭広げ式)・綱曳きずり・ソラヨイ・まとめ|鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME|
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南さつま市坊津町
茅カブリの作り方は、①長さ1.5m程に束ねられた茅の上部をくくり、裾側を広げる。②茅カプリになる子供が頭を下から入れて立ち上がる。③上部を整えて完成。
茅カブリの行列では、二才衆(青年)が十五夜唄の「お久米口説き」を歌いながら伴走する。その声に茅カブリ衆は威勢のよい相の手を入れる。綱練り会場となる公民館に着くと、歌い上げで茅カブリ衆がグルグル回って到着の喜びを表現する。
茅カルは、茅の俵を背負って運ぶ。俵状の茅(茅の苞の中に藁をつめて、背負い縄を付けてある)に、飾りとしてハギ・ホウライチク・トッカ(オオススキ)などを差す。高さは4mにもなる。重すぎて泣き出す子供もあった。
13日に綱ねり。15日は夕方から子供たちがシベ笠を被って、集落内を触れ回る。
記録動画:十五夜茅被り / 茅カル - YouTube
同じく南さつま市坊津町坊の
日が暮れると、このヨメジョを集落に下ろす合図として松明を灯し、火とぼしをする。この松明の明かりを先導に、ヨメジョが、谷川橋上側の三叉路に下りて来る。ヨメジョは今は3体だが、かつてはもっとたくさん作られていた。
ヨメジョを集落に降ろす途中、路上で青年たちが手をつなぎ、口説きを歌って迎える(テツナッゴ - 写真20)。手を左右に引き合い、綱引の予行のようにも見える。歌は「お久米口説き」。テツナッゴは「手をつなごう」がなまったもの。ヨメジョはテツナッゴの前を通り過ぎ、谷川橋右岸に据え置かれる。
テツナッゴが終わると、二才たちは一旦公民館に戻る。口説き歌を威勢よく歌いながら、3列縦隊で旧坊泊小学校正門前まで行進。小学校正門前ではドントセという習俗がある。ドントセは「どんと押せ」がなまったもので「おしくらまんじゅう」の意。掛け声は、お久米口説きの相の手に入れる、「ハッレヤナーハッレヤナーヤットコセー」。
十五夜前日にツナネリ、当日にはシベ踊り(十五夜踊り)がある(写真21)。
記録写真:鳥越テツナッゴ・ドントセ - Webアルバム
記録動画:十五夜踊り(鳥越シベ踊り) - YouTube
南九州市知覧町永里の
ソラヨイの衣装は、茅ではなく薬。藁で作った円錐形の笠(ヨイヨイ笠)と腰蓑。小学校高学年は、笠に垂れが付いた大きなヨイヨイ笠を被る。低学年の笠には垂れがなく、腰蓑も巻かない。
十五夜当日の夕方、子供たちは、集落に十五夜ソラヨイの始まりを触れて回る。このときの掛け声は、「今夜来んと、明日の晩な、麦藁3把、松明5丁、ホーイホイ」。
ソラヨイ会場の小学校校庭に到着すると、ヨイヨイ笠を被り直して、南側から入場。中央にはヤマカサ(山傘)と呼ばれる藁コヅミ(藁積・藁にお)状のものが立っている。ヤマカサには14歳の子供組の頭が入り、時計回りにゆっくりと回しながら、ソラヨイの子供たちに指示を出す。子供たちは触れ回りのときの掛け声で、ヤマカサを中心に反時計回りに進み、円陣になって、列を整える。
列が整うと、ヤマカサの中から指示が出され、子供たちが「サァー、ヨイヤン、ソーシッ、ソーラヨイ、ソーラヨイ、ソーラヨイヨイヨイ」と唄い、手を2拍たたく。唄う場面では、四股を踏むように、力強く大地を踏みしめる。終わると周廻し、また唄う。
3回目は、「サァー、ヨイヤン、ソーシッ、ナカヨイ、ナカヨイ、ナカヨイヨイヨイ」で、一斉にヤマカサを崩しにかかる(写真22)「入場→周廻(左回り)→ソラヨイ(四股。2回)→山傘崩し→退場」を3セット繰り返す。3セット目の山傘崩しで、ヤマカサは完全に壊され、ソラヨイの子供たちは意気揚々と退場していく。行事が終了すると、ヤマカサは軽トラに乗せられて退場。この後、相撲大会になる。
中福良のソラヨイは一時途絶えていたが、令和元年(2019)に6年ぶりに復活した。
南九州市知覧町東別府
材料集め 十五夜行事保存会の方(昭和29年生まれ)によれば、「自分たちが子供の頃は、八朔から山へ茅切りに行き、各集落の公民館に積み上げておいた。茅には水を掛け、藁を被せて隠しておく。子供組は「ドシグミ(同士組)」また「ドシガタイ(同士語らい)と呼ばれ、7歳から14歳までが加入していた。子供頭を「カシラドン(頭殿)」、次を「シタガシラ(下頭)」、その下を「サンガシラ(三頭)」と呼んでいた。
綱作り「ツナネリ」 伝承者によれば、「かつては、十五夜が近付くと集会所にいる二才(青年)に、綱練りを促しに行った。綱は二才が櫓を組み、キンチクダケ(ホウライチク)を芯に、茅を練り込んでなっていく。カンネンカズラは芯には使わず、できた綱の胴を締めるために巻いた。二才はケイボウ(集落パトロール用の警棒)を持って子供たちをけし掛けるので、大変恐ろしかった。二才が近付くと歌を歌い、接近を知らせ、茅や出来た綱を守った。」という。
触れ回り・綱引 浮辺のソラヨイは、締め込み姿の子供たちが、「今夜出んと、小麦ガラ1握、松明5丁、ホーイホイ(今夜綱引に来ないと、罰として麦藁や松明を出させるぞ)」の触れ参りから始まる。月の出を待って、「茅切りの歌・綱守りの歌」を子供たちが綱の側に立ち、円陣になって歌う。
公民館の庭で、平成23年(2011)は既成のロープを用い、月明かりのもと、子供対集落民で2回の綱引合戦が行われた。
かつては、「二才は、十五夜の夜になるとケイボウを持って白衣で各集落を回り、子供たちと綱引をした。綱が途中で切れると、二才は付近に投げ捨てる。ドシグミが見つけ出してつなぎ直し、もう一度綱を引いた。何度かそうしたことを繰り返し、切れた綱はとうとう分からなくなった。」という。現在は5年に一度、昔ながらに50mの大綱を練って綱引をしている。
ソラヨイ・相撲 綱引が終わると、藁笠(帽子)と藁袴を着け、土俵まで行進する(写真23)。
土俵では、子供頭の「ヨイヤショー」の合図の後、全員で次の歌を歌う。
「サー、ヨイヤショー。シリー、シリッ。ソラヨイ、ソラヨイ、ソラヨイヨイヨイ…」
ソラヨイの子供たちは一旦公民館に戻り、笠とハカマを脱ぎ、再び土俵に戻り、相撲を取る。土俵中央の土盛飾りを一斉に崩し、まず、子供組より幼い就学前幼児の相撲が行われ、続いて子供組の相撲が行われる。
十五夜の夜、
浜には波際に平行にして大綱が置かれている。二才衆と子供たちは綱を挟んで向かい合って立つ。「愛宕参り」を歌いあげ、「イヤー取っとこ、取っとこ、たった一頃ばかしや、エイヤー」の合図で綱を引き合う。引きあうと言っても左右に引きあうのではなく、大綱の両側にたくさんつけられた引綱を引く(横引き綱引き - 写真24)。綱引が終わると大綱を回して土俵を作り、そこで相撲を取る。
「愛宕参り」は南薩地区各地の十五夜行事で聞かれる歌で、門之浦では次のように歌われている。
「愛宕まいれ―― (くの字点) 、それは袖も引かれた、それは愛宕の、それはソウレン、ソウカイナ。おもしろや、ヒョー。」(2003年の十五夜で公民館に板書されていた歌詞)
下野敏見氏は、「愛宕参り」の歌は薩摩では士族子弟の二才歌で、おそらく近世後期のころに農漁村にもひろまったものであろうと述べている。〔下野1989b、167-168頁〕
ヨコビキを平成4年(1992)に拝見したときには、まだ浜で綱を引いていた。それを堤防の上から見ると、波打ち際に横たわる竜蛇が、くねくねとのたうちまわるようにも思われた。平成15年(2003)に見たときにはゲートボール場が会場になり、それも今は途絶えてしまったという。
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