南薩の綱引文化 - 綱引き・綱練り(櫓掛け式・道伸べ式・庭広げ式)・綱曳きずりソラヨイまとめ鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME

南薩の綱引文化

南薩地区地図井上賢一著「南薩の綱引文化」(薩摩川内の大綱引き調査委員会編『薩摩川内の大綱引き調査報告書』 2022年、薩摩川内市教育委員会発行、265-284頁所収)

1 はじめに

 旧薩摩藩領の鹿児島県、宮崎県南部では、八月十五夜綱引きが盛んに行われてきた。その中でも、南薩(なんさつ)地区(薩摩半島南部)は最も盛んな地域と言える。

 今回、本調査委員会が初めて実施した県内悉皆調査「鹿児島県内十五夜綱引き実施状況アンケート調査」によれば、現在も実施していると回答した県内の自治会数665のうち、297が南薩地区からの報告であった。率にすると県内実施個所の実に約45%にあたる。

 本節では、鹿児島・指宿(いぶすき)・枕崎・南さつま・南九州・日置(ひおき)の6市を南薩地区の範囲とし、近年筆者が再調査した実態報告、アンケート結果による各市の現況の整理、最後に若干の考察を行うこととしたい。

 南薩の十五夜綱引きの基本構造は①材料集め→②綱作り→③綱引→④綱の利用と綱流しである。以下では、③の綱引を、綱引合戦を行う「十五夜綱引き」と、集落の中を綱を曳いて練り歩く「綱曳きずり」に分けて報告し、さらに①材料集めなどに特徴のあるその他の十五夜習俗を紹介していきたい。

2 十五夜綱引きの実態

(1) 坊津町上之坊(櫓掛け式綱練り→綱引)

上之坊の櫓掛け式綱練り 重要無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」の伝承地となっている南さつま市坊津(ぼうのつ)地域の各集落では、材料集めから綱練り、綱引、綱の再利用と綱流しまで、一連の習俗が今もよく伝わっている。綱練りには櫓掛け(やぐらがけ)式と道伸べ式・庭広げ式があるが(別掲図4・5・6)、まずはじめに櫓掛け式綱練り(写真1)が見られる上之坊(かみのぼう)の一連の習俗を見ていこう。

材料集め「火とぼし」 十五夜綱の材料となる(かや)を山で刈り、番茅という茅束を作る。茅は根引。この「番茅」を山から下ろす時、青年が山の上で松明を回し、集落に知らせる習俗が火とぼしである。この火とぼしでは、「十四が甘かで塩まぶせ!(14歳の子供頭が頼りないので、塩をまぶせ)」「火が燃えたか!」と叫ぶ。また他の伝承では「十四が甘かで火を回せー」「火が見えたかー」と叫んでいるとも言われる。いずれの解釈が元々のものかは、定かではない。

 火とぼしが終わると、坂の途中に置いてある番茅を背負い、十五夜唄「お久米口説き」を歌いながら、綱練り(綱ない)会場となる公民館まで下ろす。行列は、青年の担ぐ一番茅・二番茅・三番茅・・・から、子供たち、最近は還暦を迎えた壮年と続く。

 公民館に着くと名乗りを上げ、「あんにょーい」の掛け声で公民館入口のスロープを駆け上がる。「あんにょーい」は、「本に良い」という意味とともに、「アラッ、ヨイショ」という掛け声にもなっている。現在は旧暦8月11日に行うが、かつては十三夜の行事だったという。

綱作り「ツナネリ(櫓掛け式)」 14日には、茅で作った細縄7本を櫓にかけ、1本の大綱に綯う。この②綱つくり習俗を「綱練り(つなねり)」と呼ぶ。

 まず、櫓づくりが行われる。「柱立て」と呼ばれ、公民館の庭に2本の丸太柱を立て、上部に横木を渡して櫓を作る。前日までに運ばれた茅束「番茅」をほどき、長さを揃えて、スボく(梳く)。その茅で細縄を作る。

 細縄には各々3人が付いて、回転しながら、締めていく。締め終わると、大綱をずり上げ、茅を継ぎ足し、再び綱練り。これを繰り返して、60mもの大綱を綯っていく(図6)。ずり上げるときの掛け声は、綱引の時と同じで、3度目に力いっぱい引っ張る。

(合図)どーんとー、どーんと引っ張れー。
(引き手)エーイヤー、ヤヤヤヤヤヤヤヤ、ヤー、ヤー、ヤー、ヤー。
(合図)もひとも(もう一つ)、しゃーんと引っ張れー。
(引き手)エーイヤー、ヤヤヤヤヤヤヤヤ、ヤー、ヤー、ヤー、ヤー。
(合図)どーんとー、どーんと引っ張れー。
(引き手)エーイヤー、ヤヤヤヤヤヤヤヤ、ヤー、ヤー、ヤー、ヤー。

 大綱に綯うに従ってぎゅっと締まっていく。3人いた各細縄の綯い役は2人から1人となる。隣の人と手をつなぎ、「ヤヤヤヤヤヤヤヤ、ヤー、ヤー、ヤー、ヤー」の掛け声で回転。最後は「ハーレヤナー、ハーレヤナー、ヤットコセー」で綱から離れる。綯い終わった綱は、櫓から引っ張り落とし、引場所となる公民館前の坂道に引き出される。

綱引 十五夜当日、夕方から子供たちが触れ周りに歩く。令和元年(2019)は、川内大綱引き調査委員の出来委員が確認したところ、提灯持ち(シベ笠被り1人)をはじめ、シベ笠被りの中学生6人など総勢22人で回った。

上之坊の跳び出し 月が出ると、二才組(青年)と、集落民を含めた子供組とが、坂道の上下に分かれて引き合う。令和元年(2019)は二才25人対子供組35人。

 十五夜綱引きは次のような構成になっている。

①上之坊十五夜の二才衆役員による口説き歌
②二才組の子供組への走り込み(跳び込み)
③二才組対子供組の綱引
④子供組の綱切り・綱隠し
⑤二才組の綱探し・綱つなげ(綱上げ)。
(①~⑤を3回繰り返し)

 まず役員が十五夜唄「お久米口説き」を歌いあげる。威勢の良い大人の口説き歌に、二才衆が手をつないで、相の手を入れる。二才の衣装は、シベ笠に桃色の手ぬぐいをネクタイ風に巻いている。シベ笠は直径40cm・高さ25cm。笠の上部にハナオヤという飾りがある。笠からはスベという146.5cmの白紙が垂れている。綱引の時はスベは巻いておく。

 その歌い終わりを合図に、坂の下側にいる二才が、子供組のいる坂の上部に駆け上がる。これは「跳ぶ」と呼ぶ。子供達は口説きを歌う二才の前で、今か今かと待ち構え、二才が「跳び」出すと、一目散に逃げる(写真2)。

 綱引は、公民館下の下り坂の道路で行われる。細い路地に長々と伸ばされた綱を、浜側(坂の低いほう)に二才、山側に子供や一般集落民が陣取る。

 綱引の後、綱は子供組側(山側)の先端が切られる。綱が切れるぐらい引き合うという意味だともいう。切られた綱は、2mほどの長さ。これを子供たちが隠す(隠す場所は特に決まっていない)。二才衆は2組に分かれて、隠された綱を探し出す。見つけられないと面目が立たないという。綱が見つかると、二才は腰を低くして口説きを歌いながら、浜側の自分たちの場所までゆっくりと綱を下ろす。そして綱をつなぎ合わせて再び引きあう。

 一連の動作を3度繰り返す。

お月さんの輪綱の再利用「お月様の輪」
①二才が公民館の庭に行列を組んで入場
②手をつなぎ回転する。
③途中で役員から小綱が渡される。
④輪にする。
(①~④を7回繰り返し)

 綱引が終わると、公民館の前庭で「お月さん作り」をする。入場の動作も数回繰り返す。十五夜綱の材料となったロープ状の細く短い縄「コマイケ」(「小さく巻いたもの」の意)をつなぎ合わせて、お月様に模した輪を作っていく。コマイケは2mほどの短い縄。掛け声のもと、二才が手をつないで回転し、輪を作っていく。掛け声は、次のとおりで、威勢よく回る。

「ヨイヨイヨイヤナ、ハーレヤナッ、ハーレヤナッ、ヤットコセー」

 綱練りと同じ掛け声のもと、二才が手をつないで回転し、輪を作っていく。あたかも、綱練り・綱引を再現しているようにも思われる。綱の再生をあらわすのだろうか(写真3)。

 これも数回繰り返して、ようやくお月様が出来あがる。直径4m。綱をつなぎ合わせて輪を作るとともに、上から見ると、人間同士の輪にもなっている。かつては深夜まで続く習俗で、真上にお月様が来た時に出来上がったという。お月さんの輪の中には入ってはいけないという。

 すべてが終わると公民館で慰労会。焼酎瓶にさしたススキ・萩の十五夜飾りの前には、大きな里芋(長さ27cm)に、サツマイモ(黄金千貫・長さ15cm)・栗を入れたお盆、お皿にはおはぎ・煮しめの供えものが置かれている。

 (わら)は昔は肥料にするため、入札していたという。


*動画解説:十五夜火とぼし(上之坊)

*動画解説:十五夜綱練り(上之坊の櫓掛け式綱練り)

*動画解説:十五夜お月さん作り(上之坊の綱引き・お月さん作り)

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