南薩の綱引文化 - 綱引き・綱練り(櫓掛け式道伸べ式・庭広げ式)・綱曳きずりソラヨイまとめ鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME

←[十五夜茅被り・ソラヨイ

5 南薩の綱引文化

(1) 南薩各市の綱引現況

 まとめに入る前に、アンケート調査をもとに、南薩各市各地区の現況を整理したい(図1)。

南薩の十五夜綱引き伝承地分布図鹿児島市 鹿児島市では、県内の市町村で最も多い158自治会か現在も実施していると回答があった。綱練りが残る地区は、ほとんど櫓掛け式だが、吉田地区でかつて道伸べ式と思われるものの報告があった。市街地の綱引は、既製品のロープによるものが多い。興味深いのは、新興団地で、町内会ごとに、あいご会(親子会・子供会)を中心に、地域挙げての綱引が行われていること。谷山・喜入(きいれ)・吉田・松元では綱練りが残っている。

 喜入生見では、「以前はカシタ(中学1年)をトグロ状の綱の中に入れ、綱を清めた後、一斉に綱を引いて、中学1年生を巻き込んでいた」。吉田市街地ではかつて各集落で行われていた綱引を、東西会綱引として、復活させている。櫓を組み、カズラを芯に、藁を練る綱練りも再現している。谷山地区・喜入地区では、綱曳きずり習俗が見られる。綱曳きずりの歌として、西谷山の向川原では、「十五夜 お月さん 早よ出ておじゃれ サーヨン サーヨン サーヨンヨン…」と歌う。

指宿市 指宿市では、市街地の各町内会でロープによる綱引が見られる。指宿校区の垂門や山川地域の大山で、櫓を組んでの綱練りが残る。開聞(かいもん)地域で1集落道伸べ式綱練りと思われる報告があった。

南薩の十五夜綱練り分布図 丹波校区の片野田ではかつて、綱を担いで集落を3周回った後綱引を行っていたという(平成2年に中止になっている)。今和泉校区の上西・上東でも道路を引いて歩く綱引が見られたという(30年ぐらい前まで)。池田校区の池崎では、出来上がった綱をトグロ状に巻き、その中に頭(中学1年生)を入れ、皆で引いてタイミングよく外に飛び出し、それから綱引が始まったという(昭和50年ごろ中止)。十五夜の歌としては、池田校区の石嶺で「十五夜お月様祭つ上げて子供のお蔭で綱を引く」と歌っていたという(昭和25年ごろ中止)。

南九州市 南九州市では、各地でロープによる綱引が残るが、頴娃(えい)地域では綱練りを行う集落も見られる。頴娃の上渕では、道路に伸ばし、転がして作る道伸べ式の練りがあったという(中止年代不明)。

 頴娃の長崎では、知覧のソラヨイに似た装束で「五代町の千亀嬢」と歌って歩く「ゴグダイマジュイ」という習俗が残る。門之浦の事例で紹介した「愛宕詣り」を綱の引きはじめとしている習俗が、知覧の立山・中渡瀬、川辺の土喰から報告があった(いずれも現在は中止)。

 川辺の平山六丁では、綱曳きずりが残るという。また川辺の迎方では、綱引場所まで持って歩いたという(平成15年まで)。頴娃の加治佐では、綱引の途中、青年が斧で綱を切ろうとし、子供たちがそれを阻むが切られ隠されて、探しに行き、再びつなぎ合わせて綱引を行ったという(昭和32年中止)。

南薩の十五夜綱曳きずり分布図枕崎市 枕崎市では、20自治会から現在も行っているとの報告があり、市街地の町内会ごとに盛んに続けられている。現在はいずれも既成のロープを用いたものだが、かつては綱練りを行った。俵積田では「道路で横に転がして作る」道伸べ式の綱練りがあったという(平成4年中止)。

 子供組と青年との抗争が盛んであったが、火縄で襲い掛かる青年から必死に綱を守る子供たち(下園)、子供がまたがって守る綱を青年が揺らして綱を引けなくする(岩崎)などの習俗は、いずれも昭和の終わりごろ途絶えている。

南さつま市 南さつま市では、加世田地域・坊津地域によく残り、大浦・金峰(きんぽう)の各1か所を除き、笠沙(かささ)では途絶えたようだ。特に坊津では、材料集めから綱練り、綱引、綱の再利用など一連の多彩な習俗が見られる。綱練りは加世田・坊津に残るが、道伸べ式には坊津町泊・鳥越・平原、庭広げ式に坊津町草野と加世田鉄山の事例がある。他の綱練り伝承地は櫓掛け式となっている。加世田本町で平成10年(1998)ごろまであった加世田大綱引は、川内大綱引と同じように道伸べ式であった。

※道伸べ式・庭広げ式の伝承集落に誤りがありましたので、このweb版では修正しました。

 綱曳きずりは万世地区各集落のほか、金峰町竹原と加世田市街地の犬追馬場(いぬおいばば)から報告があった(昭和38年まで)。金峰町高橋では、前日までに作った綱を参加者全員でかかえ集落内を歌を唄いながら歩き、最後に中央通りで引き合ったという(昭和33~35年頃中止)

日置市 日置市でも、各地で十五夜綱引きが行われていたが、これまで見た南薩地区の中では現存伝承地は希薄なようだ。綱練りは、伊集院(いじゅういん)地区で2か所、日吉(ひよし)地区で1か所、吹上(ふきあげ)地区で1か所から現在も行われているとの報告があった。いずれも櫓掛け式で、日吉の住吉では、集落ごとに行われていた行事を平成21年(2009)から、校区行事として実施しており、藁・カズラを材料に練りを行う。

 綱曳きずりの伝承地は無い。歌は東市来の江口では、「十五夜お月さん早よ出やれ~、こども喜び綱を引く、綱の長さは33ぴろ、年があくればまたござる。や~っさ、男(おとこ~)せのや~っさ、女(おなご~)せのや~っさ」。吹上の苙口(おろぐち)では、「綱引の最後は、綱の中心にカマ等で切り目を入れて、綱が引きちぎれるまで引きあった」という(昭和43年中止)。

 吹上の湯之元では、次のような歌を歌いながら、集落を触れて廻った。(平成20年中止)

十五夜お月さん雲の影、
子供のおかけで綱を引く、
エッサッサー、
 エーサッサー、
十五夜は今夜やっと、
あい(明日)の晩はなかどー


*図1 南薩の十五夜綱引き伝承地分布図(現況図)

*図2 南薩の十五夜綱練り分布図

*図3 南薩の十五夜綱曳きずり分布図

(2) 若干の考察

 前項では、薩摩半島南部の綱引き習俗の実態を見てきた。かつて、多くの集落で伝承されていた十五夜綱引きだが、現在綱練り習俗を伴う集落はわずかになっている。一方、鹿児島市・指宿市・枕崎市の市街地では、ロープによる綱引が多くの町内会で続けられている。また、農村部でも、集落ごとの習俗から校区・地区行事として、復活した事例も見られた。豊作感謝・健康祈願という本来の意味に加え、住民の融和や地域活性化の取り組みとしての意義も大きい。最後に、今回の整理で気づいた点を、いくつか挙げてまとめとしたい。

川内大綱引の道伸べ式綱練り綱練りの3形式 綱練りには、①庭広げ式、②道伸べ式、③櫓掛け式の3系統が確認できた(図4・5・6)。①と③は、1本の綱に1人ずつがついて、それをより合わせるが、川内大綱引のような②道伸べ式は、1本の縄に多人数がつく大掛かりな作業となる。また、道伸べ式は事前に長い荒縄を準備しておく必要がある。この3形式はいずれも3本の縄を右回転させながら1本の大綱に綯っていくが、最も素朴なのは①の庭広げ式で、それから②道伸べ式、③櫓掛け式へと発展したと考えられる。

綱曳きずりと十五夜歌 綱曳きずりが鹿児島市谷山地区と南さつま市加世田万世地区に多く残る。そのほか、鹿児島市喜入、指宿市街地、南さつま市金峰町田布施地区でも確認できた。いずれも海浜部である。川内で大綱を練り会場から綱引会場まで、担いで引き出す様子も、これらの綱曳きずりを彷彿とさせる。

川内大綱引 綱曳きずりで興味深いのが歌で、「十五夜お月さん早よ出やれ」に類似する歌詞となっている。これは綱曳きずりを行わない集落でも、触れ回りの時に歌われている事例があり、いずれも練り歩き時に子供たちが大きな声で歌った。

杭を意味するダンギ 綱曳きずりが残る南さつま市加世田万世地区では、十四頭(子供頭)が道路の曲がり角にダンギと呼ぶ杭を差し、大綱をそれにかけてカーブさせる。旧坊津町や旧大浦町では、綱引で青年が杭に綱を括り付け、子供たちに綱が引ききられないようにしたといい、この杭のことをダンギと呼んでいる。川内大綱引で中心に据えられるダン木も、本来この杭と同一のものであろう。


〔参考文献〕

小野重朗著 1972 『十五夜綱引の研究』 267頁 慶友社
小野重朗著 1990 『南九州の民俗文化』 374頁 法政大学出版局
下野敏見著 1989a 『ヤマト・琉球民俗の比較研究』 566頁 法政大学出版局
下野敏見著 1989b 「十五夜綱引の源流 - 門之浦のヨコビキによせて」(『東シナ海文化圏の民俗』162-192頁、未来社)
下野敏見著 2005 『南九州の伝統文化Ⅰ - 祭礼と芸能、歴史』 451頁 南方新社
坊津町郷土史編纂委員会編 1969 『坊津町郷土誌 上巻』 坊津町
拙文 2011 「薩摩半島における十五夜行事の構造」(『南九州市薩南文化』第3号所収、南九州市立図書館)
拙文 2019 「南薩摩の十五夜行事引きをめぐる多彩な習俗」(『月刊文化財』672号、文化庁監修 第一法規)


*記録動画:薩摩川内の大綱引き「綱練り」 - YouTube

*記録動画:薩摩川内の大綱引き(俯瞰映像) - YouTube

南薩の綱引き文化トップ]→

[薩摩民俗HOME]  [サイトマップ]  [民俗INDEX]


(C) 2022-2024 薩摩半島民俗文化博物館 - 鹿児島・半島文化 - 半島文化へのお便り