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例会研究発表要旨

2003年度鹿児島民具学会例会

■黒潮沿岸の交流交易―縄文時代を中心として―

橋口尚武

 後期旧石器時代からのわが国の歴史のなかで、縄文時代ほど情報が行き交い、交流交易が盛んな時代はなかった。縄文早期(約1万年前~6千年前)には、海岸地帯と山地との交易が盛んとなり、縄文前・中期に低調となり、再び縄文後・晩期に最盛期を迎えた。
 また、縄文後期(約4千年前~3千年前)になると、東日本と西日本を結ぶ交流交易のルートが完成し、そのルートに乗って土器や黒耀石、翡翠大珠、威信財の石器類、貝並びに貝製品などが遠隔地に運ばれていく。
 伊豆諸島からの貝の道と奄美諸島・沖縄諸島から貝の道から、主に貝製品が東・北日本に運ばれて、もっとも遠いのは礼文島の浜中2・船泊遺跡である。北日本ではタカラガイ・イモガイ等の暖海産の貝を珍重し、それを真似て土や石で作ったりもした。
 礼文島から発見されたイモガイが南島産であるとすると、実に2400キロを運ばれたことになる。途中寄り道しつつ、辛抱強く丸木舟で運搬されたもので、驚異的でさえある。
 富山・新潟県境産の翡翠大珠は、縄文後期になって北は礼文島から南は種子島まで運ばれていて、その距離おおよそ1200キロである。縄文人の行動範囲の長大きさに感動しつつ、今後も研究を重ねていく所存である。

2004年1月例会 - 2004.1.10 かごしま県民交流センター

松田誠「横川町上ノ紫尾田中郡の田の神の特徴」
橋口尚武「黒潮沿岸の交流交易―縄文時代を中心として―」

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