松田 誠
正保元年(1644)十一月吉日の刻字・年号のある石像田の神である。改元は寛永21年(正保元年)12月16日で、この背文字はその翌年に、前年の建立を記念するために組の者達が彫ったものであろう。
紫尾田のタノカンサァは今まで最古とされていた鶴田町紫尾のタノカンサァ(宝永2=1705)よりも六一年も早い。郷士名は原口、井上、高橋、樺木野、上田橋などが見える。2名は僧籍と思われる。もとは近くの宮内家の上のガマ(横穴)にあった。そして、中郡の田を見下ろして見守っていた。中郡にはバトカン講、山の神講、庚申講、火之神講、田の神講などを伝承している。表情はかすかにほほえむ口元が魅力的。白色の火山岩石質で、像の高さ60センチ、巾52センチ。頭に冠を被り、上衣を着て袴をつけている。両手は印を結ぶようにして丸く輪を結ぶ。御幣を差し込む穴に使っている。2俵の米俵の上に安座している(別の石質)。
タノカンサァの起源は神職像型として登場したといえる。
協力…有川和秀、高橋保徳、他。指導…元鹿児島大学教授下野敏見。
2004年1月例会 - 2004.1.10 かごしま県民交流センター