徳留秋輝
①はじめに 頴娃と唐船峡の地名の由来を、史料・伝承と地名・池田湖周辺の植生・薩摩半島の古代の海岸線・祭神から考察する。「開聞社家旧記」(1746年)には、「頴娃の名、その原始は江より出ず、此地は太古は江海にして」とある。問題は「江」である。「江」は、かわの場合は長江(揚子江)などの大きな大きな河を表し、えの場合は海や湖の水が陸地に入り込んだところや「入江」を表す。
②唐船峡の地形 開聞町にある唐船峡は峡谷である。「その昔、この地方が奥深い入江であったころ船舶が出入りしていた」という伝説から、昭和39年に地名の唐船ケ迫に因んで命名された。筆者は次のように考える。頴娃の地名は、「入海」である池田湖と外海とを結んだ海峡から出たものか、「入海」である池田湖自体から出たものではなかろうか。開聞岳の噴火によってこのあたりの地形が一変したことが想定される。指宿地方に、唐船迫・唐船迫頭の地名があるが、池田湖や海岸から離れた地域である。
③おわりに 池田湖の由来や頴娃の地名の由来を伝説・伝承、地名、植生、祭神等から検討してみた。池田湖が入江であったというのは大胆な仮説である。唐船峡という地名は、唐の船が交易に来ていたことをうかがわせる。池田湖には池王大明神が、帆見ず池(日吉町)には池王大明神が建立されている。かつて海で、現在は池になっている帆見ず池の祭神も池王である。わが国の先達は、人々の営みと深いかかわりのある場所には、モニュメントとして神社を建立してきている。今後検討を続けていきたい。
2004年3月例会 - 2004.3.6 かごしま県民交流センター