下野敏見
島津の琉球侵攻(1609年)以前の琉球王府によるノロ辞令書の残る奄美には、ノロが背にさげる玉ハベラとノロの衣装胴衣が現存する。胴衣の中で唯一龍の刺繍のあるものがある。その実態と意義について歴史視点からの解明を試みる。
玉ハベラは4000個以上の極小ビーズ玉を細糸で列ねたもので、長さ2尺、幅10センチメートルほどの矩形の背飾りで、前に下げる首輪と上部をつないでいる。奄美大島と沖永良部島、沖縄国頭等で所在が確認されている。玉ハベラと類似のものが6世紀末の藤ノ木古墳で発掘された。ノロの衣服の下裳は高松塚古墳壁画の夫人下着とよく似、奄美ノロの家に伝来の一古鏡は、●鳳禽獣文鏡で秦・前漢式文様の鏡を後世踏み返したもので、ノロ文化にアジア古代文化が影響していることが分かる。
龍繍胴衣は背面に嶮山青海波と玉をかざした正面龍を描き、周りには●龍が飛び、袖には鳳凰が雌雄2匹、こまやかに美しく彩られ、蝙蝠も2匹祝福している。前面の裾には牙をむき出した双飛龍が外に向いて悪魔祓いをし、衿下には合計10本の紐を垂らし、衿下には2目落し縫い3列を施し、悪霊侵入を防ぐ。龍繍は明や李朝皇帝の晴れ着の文様であった。嶮山(崑崙山)の由来は、『山海経』や『淮南子』にもあって淵源は古く、ノロ文化の源流はアジア古代文化に連なっている。
●…虫偏に禽
2005年5月例会 - 2005.5.7 かごしま県民交流センター