下野敏見
日本列島の三つの境界付近の民具・民俗の調査、比較研究は大変重要であり、日本文化史の探究法の一つである。筆者は25年頃よりこの重要性を指摘し、今もその延長上で研究している。
そこには「ぼかし」というような概念が入り込む余地はない。境界付近の一つ一つの島嶼を細かに調査すれば、一つ一つの事象が決して呆けても「ぼかし」がかかってもいない。もし、「ぼかし」があるとすればそれは調査不足による資料不足、あるいは勉強不足を意味しよう。
日琉境界付近のテゴ(籠)とクワ(鍬)の問題もこまかに明確に一つ一つを比較できるのである。
背負い運搬法と籠についてのべると、頭がけ背負い法は、北日本のアイヌ、列島東辺伊豆諸島、南日本の奄美・沖縄に共通する方法でさらに台湾少数民族にも見られて、古層を流れる古い運搬法であるといえよう。その中で、奄美・トカラ・三島村・南九州を比較すると、テゴ(竹籠)と背負い縄の関係が少しずつ変化し、頭がけ背負いから両肩がけ背負いへ移っている。この変化は重要であるが、何もこの地域だけでなく、本土でもまた大陸においても起り得たであろう。あるいはこの変化の最中に帰化人がいちはやく両肩がけを古代ヤマトに伝えて西日本にひろがったのかもしれない。
クワの製作法を沖縄・種子島・南九州と比較すると、柄入れの付け方の変化が興味深い。
2007年3月例会 - 2007.3.3 かごしま県民交流センター