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例会研究発表要旨

2007年度鹿児島民具学会例会

■枕崎市別府地区(中原・俵積田)の歴史と民俗について

徳留秋輝

 古代から、人々は水を求め、水のほとりに家を建てて生活をした。水資源に恵まれない所は主に天水を利用した。特に、薩摩半島南部の枕崎市別府の表層土壌は、開聞岳の噴火による降下火山灰、礫堆積物である。その為に、枕崎市別府地区は水を得るのに苦労した。干ばつの時等は溜めていた雨水を使ったり、中原の村に汲みに行ったり、海岸から馬の背で運んだりした。

 国見岳の中腹に粗製安山岩の石造りの水枡があり、この水枡から中原地区と地主の田圃は石樋で、俵積田地区は土管で流していた。中原には10組程の水枡があり、一組は15~20人が利用していた。 地主の田圃は中原と俵積田の境にあった。6枚程度からなる2反ほどの大きさであった。俵積田の地名はこの田圃に由来すると想定される。中原鎮守社の装飾紋様、また境内にある石の祠に彫り込まれている紋様は、朝鮮半島の菊紋様に非常に酷似していることは興味を抱かされる。中原の地名は中原に由来し、別府の文化の中心という意味と思われる。この中原だけは、古くから石樋の水道を敷設していたと思われる。別府は大陸(主に伽耶)からの遺民が拓り開かれた大地と想定される。その歴史を伝承・民俗・遺跡・行事・信仰等から史実を推し量った。

2007年5月例会 - 2007.5.12 かごしま県民交流センター

下野敏見「高倉の紋様と装飾古墳など」
徳留秋輝「枕崎市別府の歴史と民俗

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