下野敏見
シニグ祭りは、かつては、沖縄本島北部から与論島、沖永良部島まで行われ、奄美大島北部の竜郷町秋名(あきな)にもその影響が認められる。与論島のシニグ祭りは、パラヂという親族集団によって、四本柱のサークラ(座元)の掘立柱が組まれ、そこを中心として祭りが行われる。
シニグとは、暑さ寒さを凌ぐ意味からきているという説と、沖縄の天地創造神であるシネリキヨに由来するという説、稲の神の折目(節供)のことでシヌグ折目のことだという説などがある。
与論島では、たくさんのサークラがあって、それぞれ、祭りをする。沖縄北部では、シヌグとウンジャミ(海神祭)の行事が年交代で行われる所がある。シニグ祭りの分布は、琉球の今帰仁を中心とする北山文化に属すると思われる古風な祭りで、大いに注目されるものだが、根底には稲の祭りが認められ、一年の中でもっとも大事な年越の行事である。つまり、稲作を中心とした古い南島正月であるといえるようだ。
ところで、与論島の各サークラのシニグはどんな展開を見せているのか。サークラの掘立小屋の状況はどうなっているのだろうか。そこでは、どんな願いごとをしているのか。こうしたことについて述べてみたいと思う。奄美大島龍郷町秋名のショッチョガマは、与論島のサークラとどこか通ずるものがあるが、いったいどのようになっているのだろう。
琉球文化圏の一角に今も残る古い稲作文化の一つであり、また、古層日本文化の祭礼の姿を伝えるシニグ祭りは、きわめて注目すべき民俗行事である。また、祭りに伴うかずかずの有形物は、民具研究の貴重な対象だといえよう。
2010年5月例会 - 2010.5.8 鹿児島市中央公民館