高重義好
種子島には、日蓮や法華宗本門流と別立した日隆及び法華改宗期に生命を賭して法を弘めた日典、日良、日増のお曼荼羅が秘蔵されご本尊として須弥壇を荘厳にしている。
種子島に旧律僧で種子島農民出の日典が初めて法華を持ちこんだ。その経緯に就いて『種子島家譜』に記述がある。要点を抜書きすると、①これより先律宗也。沙門義賛なる者あり、南都興福寺に学び郷里に帰らんとす。②尼崎本興寺の日隆に謁して法華に帰伏、名を日典に改め住すること歳あり、既にして種子島に帰る(康正~長禄年間)。③僧俗その法を誹り日典を殺害せんとする者あり。寛正四年四月十二日遷化、歳六十二。とある。
日典は法華弘法半ばで倒れたが、地元には石子詰の惨劇で死亡したという伝承があり、他に餓死説もある(三国名称図会等)。
その後、寛正六年に本興寺の日良が来島、島主の時氏と祈伏、文明六年に時氏を開基、日良を開山とし本源寺を建てて法華改宗の拠点とした。しかし、旧律宗慈遠寺住職円林と同じ大会寺喜道は改宗せず、長享元年に京都より日増が来島、円林は改宗したが喜道は改宗せず遂に延徳二年九月に卒した。強いて日悦と諡して改宗の祖とした(『家譜』)。
種子島の法華寺のご本尊は一塔両尊(中央にお題目の宝塔、左に釈尊、右に多宝如来像を配した)で、須弥壇の最上段中央に安置、背面にお曼荼羅を掲げる。ご本尊の下段に日蓮、日隆像を配し、お曼荼羅に記されている四菩薩像は、ご本尊の左右に安置、四天王像はその下段に置く。須弥壇はお曼荼羅の具象化されたもので、昔より一段と荘厳化された。
2010年9月例会 - 2010.9.4 鹿児島市中央公民館