松原武実
中種子町の大字田島(たしま)は江戸時代から明治15年まで油久(ゆく)村に属していた。地租改正のトラブルから阿高磯集落とともに、油久村から分村して田島村となったが、明治22年の中種子村の成立とともに大字田島となった。明治15年の分村後、地租改正にともなう地籍調査がおこなわれ、田島と阿高磯は田島何番の番地が振られ、これを除く旧油久村は油久何番が振られた。
現在、田島の田んぼの中に立つ石碑は文字が摩耗してまったく読むことができないが、鮫島宗美が『種子島碑文集』に翻刻している。分村当時の緊迫した雰囲気を読み取ることができる。合わせて阿高磯の石碑も紹介する。これは文字ははっきりしており、内容は阿高磯が塩屋集落としてスタートしたこと、明治に二度の大火に襲われ、現在の場所に移転したことが記されている。
2023年9月例会 - 2023.9.10 鹿児島県歴史・美術センター黎明館