芳賀航哉
桜島の北西部に位置する鹿児島市松浦町鎮座の「松浦権現」の境内には、幾つもの鉾が奉納されている。本発表はこの民俗を理解するための前提として、桜島における権現信仰及びホコに関する民俗について整理・考察することを目的とした。
まず桜島の権現について。『三国名勝図会』をみると、桜島には北岳の権現として松浦村に御嶽龍王権現が、南岳の権現として御嶽蔵王権現が鎮座しているとある。一方、民俗誌及び現在に残る民俗資料からは、地域住民が必ずしも「蔵王」「龍王」といった神格の別を意識していないこと、また桜島の権現はこの両社以外にも存在したことが読み取れる。地誌の記述には一定の留保が必要。
次いで桜島の鉾に関する民俗について。近世地誌類は福昌寺住職である天祐宗津が桜島の文明噴火を止めるため南岳に鉾を建てたとする伝承を載せる。この伝承については近世桜島の絶頂に実際に鉾が建立されていたとされること、桜島の士族家に天祐宗津による鉾建立を記録した史料が残っていたこと、天祐宗津が座禅により桜島の噴火を滅したとする全国的な伝説が近世に存在したこと、これらの要素が背景となって生じた伝説であると解釈した。また現在の桜島においては白浜町の平松神社、横山村の月讀神社境内にも鉾の奉納が確認できるほか、野尻町の姫宮神社では祭具として鉾を用いている。
今後の展望として、権現信仰に関しては、先行研究で指摘されている桜島と修験道の関係について改めて考察を行う。そして桜島のホコをめぐる民俗に関しては聞き書きを通じて現在の語りを採集するほか、奉納されているホコの民具調査を進める。
2023年11月例会 - 2023.11.12 鹿児島県歴史・美術センター黎明館