薩摩半島の十五夜行事 綱引き・綱引きずり・ソラヨイ・まとめ |十五夜トップ - 鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME|
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綱引、綱引きずり、ソラヨイ、カヤ下ろしなど、多彩な十五夜習俗を見てきた。しかしながら、これらは代表的な習俗パーツを指す名称に過ぎない。これを時系列にそって整理したものが「十五夜綱引の構造図」になる。
十五夜綱引行事は、山でのクズカズラ・カヤ集め、あるいは里でのワラ貰いから始まる(@材料集め)。カヤ集め習俗には山でのカヤ引き、カヤ束作り(番茅・ヨメジョ作り)、里へのカヤ下ろし(火とぼし、カヤカブリなど)がある。
A綱作りは、綱引合戦あるいは綱運びのための大綱作り(ツナネリ)と、お月さんの綱などと呼ばれる小綱作りが見られる。出来上がると、道にとぐろ状に据え置く。子供たちは綱を守り、青年たちはそれに火を付けるなどの邪魔をする。
B綱引には、いわゆる綱引とよばれる綱引合戦と、集落内を引きずったり担いだりして回る綱運びがある。シベ笠被りや手拭製の円錐形帽子を被る集落もある。付随習俗として、十五夜踊りやお月様の輪と呼ばれる上げ綱(供え綱)習俗がある。
綱引の後は、土俵に回して相撲を取り、川や海に流す(C綱の再利用と綱流し)。ソラヨイは、相撲の前に行われる予祝儀礼とみなしてよいだろう。
今後は、これらの基本構造を元に、構造分析を行っていく必要がある。小野重朗氏のように豊富な調査資料からち密な分布図を描き、各習俗パーツ間の相関性、あるいは他の行事との比較研究を行うには、大変な作業を伴う。
また、民俗変容も進み、現在の事例を見るだけでは、基層文化を読み解くことは困難となりつつある。ソラヨイはほそぼそと伝承されたが、ワラやカヤの綱は既成のロープとなった。それすらも途絶えた集落も多い。異形の神、あるいは訪れ神の姿も、あるいはかすんできたように思える。
幸い南九州では豊富な調査報告がある。独自調査と併せ、今後は既存の調査報告を資料批判した上で、活用していく姿勢も必要なのではなかろうか。
南九州における今後の民俗研究の基礎作業として、薩摩半島の十五夜綱引きの構造を今回は明らかにしてみた。
〔注〕
1 環東シナ海における綱引の分布と伝播については、下野敏見著の「十五夜綱引の源流―門之浦のヨコビキによせて」が詳しい。
2 子供組と青年との儀礼的抗争については、小野重朗氏の『十五夜綱引の研究』ほか各著書に、詳しく述べられている。
〔参考文献〕
小野重朗著 1960 「民俗調査の方法」(『日本民俗学体系』第13巻、41―50頁、平凡社)
小野重朗著 1972 『十五夜綱引の研究』 267頁 慶友社
小野重朗著 1990 『南九州の民俗文化』 374頁 法政大学出版局
小野重朗著 1993 『南日本の民俗文化W 祭りと芸能』 370頁 第1書房
小野重朗著 1996 「十五夜ソラヨイ」(『南日本の民俗文化\ 増補農耕儀礼の研究』、362―373頁、第1書房)
下野敏見著 1989a 『ヤマト・琉球民俗の比較研究』 566頁 法政大学出版局
下野敏見著 1989b 「十五夜綱引の源流―門之浦のヨコビキによせて」(『東シナ海文化圏の民俗』、162―192頁、未来社)
下野敏見著 2005a 『南九州の伝統文化T 祭礼と芸能、歴史』 451頁 南方新社
下野敏見著 2005b 『南九州の伝統文化U 民具と民俗、研究』 451頁 南方新社
下野敏見著 2006 「中秋の名月「十五夜綱引」のナゾ」(『屋久島、もっと知りたい 人と暮らし編』61―80頁、南方新社)
下野敏見編 1990 『笠沙町民俗文化財調査報告書(2) 笠沙の民俗上巻』 277頁 笠沙町教育委員会
下野敏見編 1994 『加世田市民俗文化財調査報告書(2) 加世田市の民俗』 635頁 加世田市教育委員会
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