東 和幸
畿内地域から北部九州にかけて弥生土器に描かれる原始絵画は、「鹿」・「建物」・「鳥」などを題材としたものが最も多く、盛行する時期は弥生時代中期後半(Ⅳ期:紀元0年頃)である。春成秀爾氏の研究によると、弥生時代後期(Ⅴ期:紀元後50年頃)になるとそれらの題材は記号化される様になり、「龍」だけが新たに具象画として加わるという。一方、南九州における絵画土器は約40遺跡180例ほどあるが、Ⅳ期の出土例は全くなく、「鹿」や「建物」などを題材としたものもみられない。南九州で絵画土器がみられるのはⅤ期になってからであり、弥生時代後期後半~終末期にかけて最も盛行する。しかも、題材としてはっきりわかっているのは「龍」のみである。
原始絵画を直感的に見るのではなく、多くの絵画土器を実見し系統を追及し続けた春成氏の成果を基に南九州の絵画資料を改めてみていくと、「龍」にたどり着く例が多い。近畿の龍に近い金峰町諏訪前遺跡例、自由画的な宮崎市下郷遺跡例、免田式土器の文様に類似する熊本県城南町例、それに簡略化した鰭のみを描いた鹿児島大学構内遺跡例がある。では、なぜ南九州では「鹿」や「建物」などの農耕儀礼に関わる絵画は受け入れず、「龍」だけを採用したのだろうか。龍は雨や水を象徴とした題材であり、雨乞いや、洪水を鎮める効力があると言われている。シラス台地という軟弱な地盤である上に多雨地帯である南九州は洪水を引き起こしやすく、人命や財産を守るために龍の効力が必要だったと考える。
2004年5月例会 - 2004.5.29 かごしま県民交流センター