松田 誠
金屋藤太夫とは誰だろうか、永い間気になっていた。それが瀬戸内市立図書館広報で偶然わかった。どうして岡山県尻海の人が加治木を訪れたのか、調査中であるが、現段階でまとめてみた。
瀬戸内市HPによると、尻海の廻船問屋・商人の金屋藤太夫が、尻海地方(現在の岡山県瀬戸内市邑久町)の若宮八幡宮に、寛政七年に絵馬を奉納していた。そして資料がないので、これが金屋藤太夫に関する唯一の資料であることも知り得た。なので、当人に関連する資料やその背景から、薩摩屋藤太夫、金屋庄兵衛などの名称は別人物かの判断も含めて探っているところである。
①金屋という名前の由来は金物業(道具類の金物)・鋳物師・鍛冶屋に関連するらしい。
②金屋藤太夫の出身地は「金屋一丁目」即ち北区の天満四丁目の付近かもしれないと想定している。
③昭和八年頃、加治木の鈴木会社でつくられた「ダイヤ焼酎」は知覧町東塩屋の天智丸(船主は前村伊勢儀)が、大阪、岡山、宇和島などへ海上運搬していたという。ひょっとすると、これに似たようなルートが、時代は天明年間まで遡るが、加治木を訪れていた金屋藤太夫の贈り物として存在していたのかもしれない、と思われるため仮説事項としたい。大阪へつなぐルートがあったからこそ大隅一と呼ばれる加治木に栄えたのであろう。
2023年3月例会 - 2023.3.12 鹿児島県歴史・美術センター黎明館