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2 加世田市川畑の水車カラクリ−加世田招魂冢

*加世田市大字川畑向江地区平之馬場集落(かせだ・かわばた・むかえ・ひらのばば)

 加世田市街地南東部にあった招魂冢(招魂社)では,戦中まで竹田神社と同規模の水車カラクリが上演されていた。
 冢は明治12年,同地の菅原神社(明治初年まで天神,明治43年に熊野神社に合祀)境内に,西南戦争の鹿児島藩側戦没者を祀ったもので,戦後昭和28年に加世田護国神社(当時は頌徳神社)に合祀された(注1)。招魂冢跡には遺族によって記念碑が立てられている。冢の場所は加世田川下流右岸,加世田小学校東側の小いさな丘の上で,加世田川はここから市街地を迂回して,万之瀬川へと注ぐ。昭和58年の水害では一帯が洪水に見舞われた。
 カラクリは,参道下の溝で六月灯に催されたが,現在は用水及び道路の改良により市道敷きになっている。当時の用水も小規模のもののようである。カラクリも含め六月灯は戦没者の遺族等で主催されていたが,天神があった時代にカラクリがあったかは不明である。

図9 加世田招魂社付近(吉峯宗俊さん作成)] 36.0KB


伝承資料@

●概要
向江横小路(ムカエヨコシュ)にあった招魂冢の,7月18日の六月灯で戦中までカラクリ があった。

●人形作り
人形は武者人形を竹田神社と同じ要領でつくっていた。

●舞台掛け
舞台は竹田神社のより一回り小さいものだった。

●カラクリ
川の流れが悪いので,止まったり回ったりしていた。

●上演方法
遺族の人(麓集落が主)や従軍から帰ってきた人でカラクリを作って上演していた。だいたいカラクリ人形というのは題を知らせなかった。題目は毎年違ったもの だったが,同じものをしたこともある。

●付随伝承
キャンディー屋が「アイスケーキ」という幟を自転車の後ろに付けて売りにきたり,かき氷などの出店もあって,にぎわった。いつから始まったかは分からないが,昭和19年まではあった。招魂社の六月灯には回り灯籠をもっていった。明治12年に薩軍の招魂冢として建立され,昭和28年に護国神社に合祀された。

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