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7 結び

 ここまで,万之瀬川流域につらなる10地区の農村カラクリ人形芝居について報告してきた。いずれも旧暦6月に行われる鹿児島の夏祭り−六月灯,現在は月遅れが多い−で上演されていた。万之瀬川などから引かれた用水に水車をかけたものと,人の手によって直接操る事例(4例)があった。現存する3地区も含めて,一覧表にしたものが〔表2〕である。

 これらのカラクリを制作する主催者によって分けると,主に旧士族階級が氏子となっている神社−〔A〕竹田神社,@加世田招魂冢,A井手ノ元水神,D知覧招魂社,G射場堂,H伊勢神社,I浮辺氏神−が圧倒的に多い。また,商家が主な主催者となっているものも,A井手ノ元,F恵美須神社,〔C〕吹上温泉があった。実際にはそれぞれの氏子の青年層が中心になった。

 次に,それぞれの人形・舞台について比較すると,水車を用いてカラクリ人形を動かすものと,人力によって人形を操るものに分けられる。さらに前者は等身大に近い大型人形を回り舞台で見せるものと,30センチ前後の小型人形4体程度をさまざまな仕掛けをこらした舞台で見せるものとがある。C取違では,人形を持ち上げるなどの直接的なアヤツリも見られる。これは,一般的な人形劇と言ってもよいかもしれない。

 舞台は〔A〕竹田神社の8畳敷きを除いて3・4畳であった。Iの浮辺だけは半畳とさらに小さい。いずれも杉垣をして舞台下の動力伝達部を隠し,山苔などを敷いてジオラマ風に舞台演出をしている。これらの要素を分類整理すると,〔表1〕のようになる。形式は筆者が任意につけてみた。

〔表1〕

形式 演者(主催者)視点 観客視点 伝承地
動力 機構 人形 動き
(1)
回り舞台型
水車 カラクリ 大型 回り舞台 竹田・招魂塚・
井手ノ元・吹上
(2)
小ぶり回り舞台型
水車 カラクリ 小型 回り舞台 浮辺
(3)
カラクリ劇場型
水車 カラクリ 小型 仕掛け舞台 豊玉姫・招魂社・
大心寺・恵美須
(4)
アヤツリ劇場型
手回し アヤツリ 小型 仕掛け舞台 峯苫・取違・
伊勢・射場堂

 しかしながら,以上のような分類を観客側の視点から述べるならば,人形については〔1〕大型と〔2・3・4〕の小型のもの,動きは〔1・2〕の回転のみのものと〔3・4〕の仕掛け舞台が見られるものとに分かれることになる。つまり,豊玉姫神社のような水車を利用した小型人形の舞台も,手回し小型人形のアヤツリも,観客側から見れば同様なおもしろさを楽しめたのである。

 さらに,C取違とF恵美須神社では,豊玉姫神社との間に人形貸借の伝承があった。知覧町内の調査では,伝承者が豊玉姫神社のカラクリも実際に見ており,これと比較して「手回しである」など異なった部分を中心に伝承が述べられる。したがって,人形,舞台,演題など伝承のあやふやな部分については,豊玉姫神社と似通ったものと考えてよい部分が多いように感じられた。このことは竹田神社と加世田招魂冢についてもいえる。地区内でのカラクリ人形芝居の交流,あるいは伝播といえるものである。

 最後に上演年代を整理し,各型式の相関を考察してみる。記録に残ることがないこの分野では伝承が重要になるが,調査を終え整理をしてみてあらためて上演年代の不確かさの課題が残る。〔表2〕には用水や社寺の成立時期等を勘案して末行に記してみた。これらのカラクリ・アヤツリの全盛期を求めるならば,明治後半から大正の時期として間違いがないように思われる。終期については現存するもの以外は,遅くても終戦直後までの期間である。知覧招魂社のように,大きな年忌や紀元2600年を記念してその年だけ復活した場合もあったようである。始期については,いずれもあやふやであり,ここでは回答を出せないが,幕末まで逆上れるかは疑問である。

 各型式の発展過程について筆者なりに結論を述べれば,〔1〕回り舞台型が原型となって,〔3〕のカラクリ劇場型に発展し,〔1〕の機構を残しながらも〔3〕で使われる小型人形の影響を受けて〔2〕小ぶり回り舞台型が成立したのではなかろうか。また,〔4〕アヤツリ劇場型は,〔3〕の舞台を水のない場所でも上演できるようにしたものであろう。いわゆる〔3〕→〔4〕の間には,風土化の現象が見られるのである。

 しかしながら,上演年代がはっきり限定できない以上,型式だけからの発展過程を推測することは危険とも言える。例えば,〔4〕については明治にまで逆上れるような伝承があり,必ずしも〔3〕より後に発展したとは言い切れないのである。上記の考察は,万之瀬川流域の各地へ,明治・大正年代の交流を通して伝播していったと限定がつけば,正しい結論となるものなのかもしれない。

 その際,今回の調査を通して気づいたことは,純粋な農村の夏祭りの出し物というよりも,旧士族階級や商家など財力を持った人々が中心になって主催された事例が多いということである。今後は,伝承地域の風土や史料の洗い直しを続けて行く必要があると思われた。今回報告した地区以外にもカラクリがあった可能性も残されている。

1 『加世田市史』,下233・234。
2 『川辺町郷土誌』による。
3 戦後,鹿児島県が推進した経済自立化運動の中で,集落を「振興小組合」と呼んだ。昭和44年からは小組合 の規模の適正化も奨励され,上別府や浮辺などの合併集落が誕生した。(『知覧町郷土誌』,449)
4 峯苫集落氏神の調査報告には,粟国恭子「信仰具Wウッガン信仰および社会組織」(『知覧町の民具』,349)が ある。
5 峯苫国雄(1982):社会生活,『知覧町郷土誌』,1260。
6 取違地名伝説の調査報告には次のようなものがある。
松元清志(1982):伝説・民話・民謡,『知覧町郷土誌』,1396-1397。
斧淵和永(1990):伝説と場所・物,『知覧町の民具』,362-363。
本田硯孝(1991):知覧町の伝説・昔話・世間話,『知覧町の民俗』,320-321。
大石和世(1992):知覧町の伝説・昔話・世間話,『知覧町農漁村の民俗と技術伝承』,392-428
7 取違集落氏神の調査報告には,前掲3(粟国,348頁)がある。また,『知覧町郷土誌』1162頁の表3−2で,宝永7年(1710)「奉再興鎮守」,文化4年(1704)薬師堂の「奉再興」並びに文化9年(1709)の薬師堂「奉造立」の棟札が現存することが報告されている。
8 田代深山(1982):昔の年中行事,『知覧町郷土誌』,1387。光寿寺については,郷土誌編纂委員でもある村永薫 委員の再調査の結果,回り灯篭はあったが,カラクリはなかったとの報告がカラクリ調査委員会であった。
9 『知覧町郷土誌』,1116-1117。
10 『知覧町郷土誌』,1144-1153。
11 前掲7。
12 『知覧町郷土誌』,1109。
13 『知覧町郷土誌』,1107。
14 前掲3。
15 『知覧町郷土誌』,1261-1263,1285。
16 門野 伸(1991):年中行事U(5月〜8月),『知覧町の民俗』,204。

文献

上原三夫・増田逸彦・辻正徳(1966):『吹上町郷土誌』,吹上町教育委員会,218ページ。
下野敏見編(1990):『知覧町民俗資料調査報告書(1) 知覧町の民具』,知覧町教育委員会,411ページ。
下野敏見編(1991):『知覧町民俗資料調査報告書(2) 知覧町の民俗』,知覧町教育委員会,418ページ。
下野敏見編(1992):『知覧町民俗資料調査報告書(3) 知覧町農漁村の民俗と技術伝承』,知覧町教育委員会,485ペー         ジ。
下野敏見編(1994):『川辺町民俗資料調査報告書(2) 川辺町の民俗』,川辺町教育委員会,599ページ。
竹内理三編(1983):『角川日本地名大事典46 鹿児島県』,角川書店,1246ページ。
編纂委員会(1976):『川辺町郷土誌』,川辺町。
編纂委員会(1982):『知覧町郷土誌』,知覧町,1464ページ及び図表。
編纂委員会(1986):『加世田市史』下巻,加世田市,545ページ。

伝承者

加世田市武田(屋地集落) M.Y. さん 大正12年生 西南の役薩軍遺族会 伝承@
川辺町平山(河原町集落) Y.K. さん 昭和5年生 小組合長(部落長) 伝承A
川辺町平山(横手町集落) K.M. さん 大正10年生 小組合長(部落長) 伝承B
知覧町西元(上別府峯苫) K.M. さん 明治40年生 郷土誌編纂委員 伝承C
知覧町西元(上別府取違) M.T. さん 昭和4年生 伝承D
知覧町西元(上別府取違) S.T. さん 大正6年生 伝承E
知覧町郡(中郡地区) H・A(男性) 昭和10年生 伝承FIL
知覧町郡(中郡本町集落) K.M. さん 大正9年生 「薩摩の水からくり」調査委員 伝承GK
知覧町郡(中郡地区) 大心寺住職 伝承H
知覧町郡(上郡地区) M.S. さん 大正7年生 伝承J
知覧町東別府(浮辺地区) M.A. さん 昭和5年生 浮辺公民館長 伝承M
知覧町東別府(浮辺地区) T.A. さん 大正4年生 伝承N

※以上の伝承者の方々及びスタッフ,委員の先生方に深く感謝申し上げます。特に,村永薫先生には多くのご教示をいただきました。資料については,先生が実際に見られ,筆者にご教示いただいたもののみを伝承資料として扱い,先生の調査された聞き書きについては,かぎカッコで引用させていただきました。詳しくは村永先生の報告をご覧ください。また,文中及び〔表2〕の豊玉姫神社,吹上温泉の記事については,委員の先生方の中間報告を参考にさせていただきました。

※このWeb版のレポートでは,伝承者名をイニシャルで表記しました。

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