十五夜火とぼし
「十五夜火とぼし」基礎データ
十五夜火とぼしは、十五夜行事で使う茅「番茅」を山から下ろす時、青年が山の上で松明を灯し、それを回して集落に知らせる習俗です。火とぼしが終わると、坂の途中に置いてある番茅を背負い、十五夜唄「お久米口説き」を歌いながら、綱練り(綱綯い)会場となる公民館まで下ろします。
- 場所:鹿児島県南さつま市坊津町坊 上之坊集落 通称「上道の坂」
( - ぼうのつ・ぼう・かみのぼう - )→地図
上道の坂(カンミッのサッ。かみみちのさか)は、国道226号坊トンネル南側出口から100メートルほど南に進み、東に登る坂道です。最初はコンクリートですが、すぐに舗装は終わります。車は国道沿いに止め、ここから先は徒歩で200メートルほど登る。 - 日時:現在は旧暦8月15日前1週間以内の日の午後7時から。
- 文化財指定:国指定重要無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」(南さつま市旧坊津町・枕崎市・南九州市旧知覧町)
- メモ:毎年開催日が変わります。坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん)などで、日程確認をしてから、いらしてください。かつては旧暦八月十三夜の行事でした。上之坊のほか、鳥越にも火とぼしがあります。
「十五夜火とぼし」写真と解説
1.十五夜綱引きにおける火とぼしの位置づけ
薩摩半島の旧暦八月十五夜行事は、綱引きを中心に行われる。その構造は「材料集め」→「綱作り」→「綱引き」→「綱の再利用(相撲)と綱流し」からなる。
このうち火とぼし習俗は、「材料集め」の一部で、「山のカズラ・カヤ集め習俗群」の一つ。山から引いてきた茅を、集積所から綱綯い会場まで運ぶ「茅下ろし習俗」。山からの茅集め習俗群は、茅引き→茅束作り→茅下ろしと続く。
2.上之坊の十五夜火とぼし
上之坊では十五夜行事で使う茅を束ね、「番茅」を作る。その番茅を山から下ろす時、青年が山の上で松明を灯し、それを回して集落に知らせる。この火とぼしでは、「十四が甘かで塩まぶせー(14歳の子供頭が頼りないので、塩をまぶせ)」「火が燃えたかー」と叫ぶ。また他の伝承では「十四が甘かで火を回せー」「火が見えたかー」と叫んでいるとも言われる。いずれの解釈が元々のものかは、定かではない。
火とぼしが終わると、坂の途中に置いてある番茅を背負い、十五夜唄「お久米口説き」を歌いながら、綱練り(綱ない)会場となる公民館まで下ろす。行列は、青年の担ぐ1番茅・2番茅・3番茅…から、子供たち、最近は還暦を迎えた壮年と続く。
公民館に着くと名乗りを上げ、「ほんにょーい(あんにょーい)」の掛け声で公民館の坂を駆け上がる。「ほんにょーい」は、「本に良い」という意味とともに、「ホラッ(アラッ)、ヨイショ」という掛け声にもなっている。現在は旧暦8月11日に行うが、かつては十三夜の行事だったという。
こうして公民館に運んだ茅は、十五夜前夜の旧暦8月14日に、大綱に綯われる。→十五夜綱練り(綱作り)
→詳しい解説は、「薩摩半島における十五夜行事の構造」
「坊津の十五夜」記録映像・記録画像
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坊津十五夜一覧:坊津の十五夜
記録映像総集編:薩摩半島の十五夜行事
〔実地調査〕
1991.9.- / 2006.9.30 / 2010.9.18(旧暦8月11日) 午後7時から / 2012.9.28(旧暦8月13日) 午後6時30分から
〔参考文献〕
拙著「薩摩半島における十五夜行事の構造」(『南九州市薩南文化』第3号、2011年、南九州市立図書館編・発行)